法話集

法話集

読む法話「心配するな」 (芦北町 芦北組 覚応寺 葦原理江)

2024/04/01 09:00

 去年の11月15日は父の七回忌でした。8年前、膵臓がんと診断された父は、1年4ヶ月の間、抗がん剤治療を受けながら自宅で過ごしていました。その時、父は、部屋の前を通る家族を呼び止めては、それぞれにいろんな話しをしてくれていました。
 去年7月に、家族だけでの父の七回忌法要を勤めたとき、住職である弟が、法話でその時の話をしてくれました。
 
ある日、父は弟を呼び止めて、このように言ったそうです。
 
「おい、窓の外ば見てみろ。あそこに赤い実がたくさんなっとる木があるやろ。さっきから小さい鳥が、その実を食べようとして飛んで来るけど、すぐにはその木に止まらん。少し離れた木に止まって、キョロキョロと怯えながら辺りを見渡しよる。それを繰り返してようやっとその木に止まっても、まだ警戒して、キョロキョロしながら赤い実を食べて、慌てて飛んで行きよる。
 あの怯えながら生きる姿こそ、阿弥陀さまが願わずにはおられなかった、私たちの姿そのものなんだよ。
 『大経(仏説無量寿経)』に「一切恐懼 為作大安(いっさいくく いさだいあん)」とある。その「懼(く)」という字の「忄(りっしんべん)」は「心」を表し、右下の「隹(ふるとり)」は尾っぽの短いずんぐりした鳥を表しとる。右上の2つ並んだ「目」の字は、その鳥が怯えながらキョロキョロとする様を表しとる。
 「
一切の恐懼に、ために大安を作さん。」生死の苦しみに常に怯えて、安心して生きることの出来ない全てのいのちに、阿弥陀さまは、この上ない安らぎを、与えてくださってあるんだよ」と。
 病いの中にあった父が、阿弥陀さまの大いなるお慈悲のうちにあったことを感じ、涙とお念仏が溢れてきました。
 そして、そのお念仏の中に「心配するな」と呼びかけ、今ここ私に、まことの安心を与えてくださる阿弥陀さまの、あたたかいお慈悲に包まれた、七回忌法要でありました。

読む法話「独りぼっちではない命」 (熊本市 熊本組 善教寺 西守騎世将)

2024/03/01 09:00

 令和六年の元日、新しい年を迎えられた祝福の雰囲気溢れる中、能登半島で震度7の大きな地震が起こりました。
 この地震にて被災された皆様に心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早く復興され元の穏やかな生活に戻られますことを心から念願しております。
 現在宗派では石川県金沢市の金沢別院において浄土真宗本願寺派・能登半島地震支援センターを設置し、物資や災害支援ボランティアの受け入れを行っております。詳しくは、浄土真宗本願寺派金沢別院のホームページまたは特設ページをご確認下さい。https://jovial-notosien11.wordpress.com

 さて、実は私のお寺も平成二十八年熊本地震において、本堂、住居の庫裡(くり)とも全壊しております。
 このお寺は私の妻の実家で、当時は83歳になる妻の叔母が住職として一人でお寺を守ってきたのですが、この地震の影響で持病がいっきに進行し、そのまま入院、即住職引退となってしまいました。
 
妻は四人姉妹の長女ですが、両親は既に二人ともお浄土に参られており、姉妹も全員外に嫁いでおりますので誰も後を継げる者はおりません。
 でもお寺は崩れたまま。
 
再建どころか後継者すらいない。
 そんな中、「自分がやる!」と私は自然と手を挙げておりました。
 
崩れてしまったお寺を見て、私はどうしても放っておけなかった、と言うのが率直な気持ちでした。
 
私は元々会社を経営しております。
 若い時に自分で創業し、長く経営者として人生を歩んできましたので、どうしても考え方の基準や思考が「自分」になりがちです。
 
そして年を重ねる毎にこの考え方はどんどん強くなっていきます。
 
従って「自分一人の力で生きている。誰にも頼らず生きている。ここまで来られたのは自分の力、自分の努力。誰にも頼らず、誰にも迷惑など掛けていない」…今思えば恥ずかしい限りですが、ただ自分が導いた結果だけにしか思いが巡らない、至らない考えしか持てない私でしたから、「なぜそうなったのか?」という「因」はあまり考えず、目の前の「果」だけを見て判断するので、結局そこにいろいろな迷いや苦が生じ、不安や思い通りにならない困難を抱え続け、いつも孤独で独りぼっち…そんな命を生きて来たのです。

 私たちがいつも頂いておりますお念仏。
 そのお念仏でありますが、単に「わたしがお念仏する」というわたし自身が導いた「果」ではなく、迷い苦しむ衆生を救おうと願い立たれた阿弥陀さまの願いが、「因」となって今わたしに直接届いているからこそのお念仏なのだと言うことを知りました。
 
有り難く尊い願いと功徳が南無阿弥陀仏となって今まさにわたしを支えて下さっているからこそ手が合わさり、お念仏を申している、ということを思い見ることは大切です。
 
そして、そもそもなぜ阿弥陀さまは衆生を救おうと願われたのか、という「因」について考えることは、最も重要なんです。
 
これを親鸞聖人は正像末和讃にて次のようにお示しになられました。

  
如来の作願をたづぬれば
  
苦悩の有情をすてずして
  
回向を首としたまひて
  
大悲心をば成就せり(註釈版聖典六〇六頁)

 「阿弥陀さまは生きとし生ける、全ての命を救う願いを起こされましたが、そのお心をお尋ねすると、それは苦悩しながら生きるわたしを決して見捨てないためでした。そして長く大変な修行の功徳の全てをわたしに回し向けることを第一として、わたしの苦悩の解決をするための誓願を成就して下さいました」という、み教えです。
 
自力という自らの力でさとりに至ることもできず、放っておけば何をするかわからない。
 
危なっかしく、且つとても弱く、苦しみ迷いながら生きるのが、わたしです。
 
それでありながら、自分一人の力で生きている、誰にも頼らず生きている、ここまで来られたのは我が力なのだ、と勘違いしているわたしでもあります。
 そんな危なっかしく、脆く、弱いわたしだからこそ、阿弥陀さまはどうしても放っておけず、とてつもなく長く大変な修行をされ、その功徳を全部わたしに振り向けて今まさに救って下さっているのです。
 
阿弥陀さまにとって、こんなわたしでもまさに我が子同然。
 
命の親さまとして常にわたしを心配して下さり、お念仏となって常に私に寄り添って下さっているのでした。
 
それに気付かされるのがお念仏であり、お念仏申すことで阿弥陀さまの功徳がわたしを包んで下さっていることに気付くのです。
 
決して孤独ではない、独りぼっちの命ではない。
 
そうお聞かせ頂くことが「念仏の衆生」としてお育て頂くことなのだと思います。

 その後、私はすぐに得度して僧侶となり、お寺の住職を継がせて頂きました。
 時間は掛かりましたが、やっとお寺の再建も始まりました。
 
各地で発生する災害によって、寺院や住宅が私のお寺のように全壊する悲しい出来事が起こっています。
 
「どうしようか…」と途方に暮れる気持ちは私もよくわかります。
 
でも焦らなくてもいいです。
 
時間が掛かってもいいじゃないですか。
 
規模が小さくたっていいじゃないですか。
 
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と一緒に寄り添い、励まして下さる阿弥陀さまがご一緒です。
 
いつか再建を果たした暁に、「良かったね、頑張ったね。私も嬉しいよ。あなたと私で喜びを倍にして噛み締めよう」と寄り添って下さる阿弥陀さまがいつもご一緒です。
 
決して独りぼっちではないんです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

読む法話「光に照らされ」 (錦町 球磨組 報恩寺 岡田浄教)

2023/12/16 09:00
  電車の窓の外は、光にみち、喜びにみち、いきいきといきづいている。
  この世ともうお別れかと思うと、
  見なれた景色が、急に新鮮に見えてきた。
  この世が、人間も自然も、幸福にみちみちている。
  だのに私は死なねばならぬ、だのにこの世は実に幸せそうだ。
  それが私の心を悲しませないで、
  かえって私の悲しみを慰めてくれる。
  私の胸に感動があふれ、胸がつまって涙が出そうになる。

 この詩は小説家、詩人として著名な高見順さん(1907~1965)が癌になり、まもなく死ぬであろうことを自覚していた時に書いた詩「電車の窓の外は」の一部です。

 高見順さんが「死」の問題に直面したとき世界は光り輝き、死にゆく自分に対してどこまでも優しく受け取られたのでしょう。高見順さんがどのような信仰を持ち、どのような人生を送ってこられたのかは分かりませんが、今まで何気なく見えていた普段の景色がそのように見えたのは、とてつもない驚きだったと思います。高見順さんがこの詩を驚きのなかに書かれたことは想像できますが、この詩を読んで私の景色の見え方が変ったかとかといえば、そういうことはありません。中々そのように見えない、思えない私が心に見えただけです。この詩を読むたび、いつのまにか生きていることが当たり前になり、世界が素晴らしいと思えなくなっている自分が見えるだけです。

 しかし私たちが普段聴聞させていただいている阿弥陀さまのお心は私の見え方が劇的に変化することを期待しておられるのでしょうか。

 むさぼり・いかり・おろかさという煩悩に骨の髄までどっぷり浸かり、どこまでも自分中心にしか周りを見ていないこの私、世界が光に満ち、どこまでも優しく見えなくても、そのような私であるがために阿弥陀如来は御本願をたて、常に私を照らし、何があろうと決して見捨てないとはたらいてくださいます。

 阿弥陀さまの光に照らされて見えてくる私の姿はどこまでいっても煩悩まみれでありますが、その私を決して見捨てないとはたらいてくださる「南無阿弥陀仏」とともに娑婆、思い通りにならないこの世界を生き抜いていくだけなのです。

読む法話「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」 (上天草市 天草上組 観乗寺 藤田慶英)

2023/11/01 09:00

 こんにちは。天草の藤田と申します。この度は、阿弥陀如来様の大悲、広大なお慈悲を皆様方と味わいたいと思います。
 「大悲」とは「大慈悲心」の略でありまして、簡単に申しますと「慈」とは「あなたの幸せがこの阿弥陀の幸せ」という他の幸せを純粋に願う心です。「悲」とは、「あなたの痛み・苦しみがこの阿弥陀の痛み・苦しみ」というお心であります。この大悲のお心を今日はテーマにしたいと思います。
 私は森進一さんの名曲、「おふくろさん」が大好きです。この歌詞の中で「雨が降る日は傘になり おまえもいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた」という歌詞があります。この短い歌詞の中に息子と母親の半生が描かれているように感じます。息子が小さい頃、息子が辛いとき、ずっと息子を守り続けた母の姿。そして一人前の男になって社会の一員となり、家族を支え世の中を支える男になってほしいという母の願いが込められています。
 1971年、森進一さんはこの「おふくろさん」で、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞します。この授賞式で森進一さんはおそらく人生で一番激しく「おふくろさん」を歌ったのではないでしょうか。目に涙を浮かべて森進一さんは「おふくろさん」を歌いました。おそらく自らの人生に重ねて歌っていたのではないでしょうか。決して順風満帆とはいえない演歌歌手人生、ずっと森進一さんのお袋さんが支えてくれた。「ありがとう、おふくろ」そういう思いで歌ったから、あれだけ激しい歌唱になったのではないかと推測するのです。

 テレビの前か観客席かで本当の森進一さんのお袋さんがこの歌を聴いてどう感じていたでしょうか?最愛の息子が日本で一番歌が上手だという賞を取ったのです。本人同様に涙を流して喜んでいたのではないでしょうか。

 あなたの幸せは私の幸せ、この娑婆世界で阿弥陀様のお慈悲のお心をおたとえするものがあるとしたら、私はこの親心しか思いつきません。人間は子どもに対してだけですが、阿弥陀様の大悲は生きとし生ける命すべてに届き、「この阿弥陀に任せなさいよ、必ず助けますよ」と私たちに常に届いているのです。そのおよび声が南無阿弥陀仏の6文字なのです。

読む法話「真実の拠り所」  (玉名市 高瀬組 安楽寺 入江祥裕)

2023/10/01 09:00
 ある大学の教授が草原を歩いていました。時間を確認しようと腕時計を見ると、電池が切れ時計は止まっていました。しかしどうしても時間を確認したい教授は、辺りを見回します。するとヤギを見張っている青年が休憩していました。教授はその青年に近寄り、
「君、今何時かね?」
と尋ねました。すると青年は隣にいたヤギのお腹を持ち上げて、
「〇時〇分ですよ」
と答えました。
「適当に答えおって」
と思った教授は翌日、動く時計を持って青年に時間を尋ねました。青年はまた隣にいたヤギのお腹を持ち上げて、
「〇時〇分です」
と答えました。 そこで教授は動く時計を見て確認すると、時間はぴったり合っていました。「ヤギのお腹を持ち上げて時間が分かる?一体どういうことだ」
と思った教授はすぐに大学で研究を始めました。しかしどれだけ研究しても納得のできる答えは出ませんでした。お手上げ状態になった教授は、青年の元へ行き、
「君は、なぜヤギのおなかを持ち上げると時間が分かるのかね?」
と答えを聞きました。 すると青年はまた隣にいたヤギのおなかを持ち上げて、
「それはね、ヤギのおなかを持ち上げないと向こうにある時計台が見えないからなんだ」
と答えました。教授は今まで頼りにしてきた知識、すべてが何の役にも立たずお手上げ状態になりました。
 私達も今までの人生でこれがあれば幸せだ、安心だと頼りにしてきた健康や家族や友人。これがあればきっと幸せになれると身も心もすり減らしてまで追い求めてきた地位や名誉や財産。もちろんこれらは幸せの材料であるかもしれません。しかし命終えようとする時、これらが何一つとして私の心の支えになってはくれません。私の知識でこれがあるから幸せだ、安心だと追い求めていた一つ一つは命終わる時に何の支えにもなってはくれません。すべて置いていかなければいけません。
 抱えきることの出来ない苦しみを抱え、一人涙していかなければならなかった私に阿弥陀様は「もっと努力してその涙とめておいで」
とはおっしゃいませんでした。
「阿弥陀があなたを必ず浄土に生まれさせる。だからどうか任せておくれ。もう一人じゃない」 とありのままの私を抱き取ってくださいました。苦しみの涙を止めるすべも、手がかりも何一つ持ち合わせていない私に、阿弥陀様がお救いを全て整えて、今私たちのいのちに「南無阿弥陀仏」というお姿でご一緒くださっています。

読む法話「ご法事とは」 (和水町 玉関組 正元寺 寺添真顕)

2023/09/01 09:00

 コロナが流行りだした頃から、ご法事のお約束をいただく際に「今回の法事、家族しかいませんが、それでも良いですか?」とお尋ねされることがあります。

 2か月程前にも同様の事を電話で聞かれましたので、私が「なぜ、そのようなことを心配されるのですか?」と聞くと、「やっぱり少ないより多い方が良いと思うのですが、子ども達が遠方に住んでいて、コロナが心配で呼びきらんとですよ」とのお答えでした。

 私は「人数は関係ありません。ご縁に遇われる方が多い方が望ましいですが、少ないからと言って心配する必要もありません。詳しくはご法事の時にお話しします」とお伝えしました。

 法事当日にお宅に伺い、お衣に着替えてお経さまを拝読した後に少しばかり仏様のお話をさせてもらいました。

 話の冒頭に、「なぜ以前は大勢でご法事を務めていたのでしょうか?」と聞くと、すかさず一番年嵩の方が「人数が多い方があの世に行った人が喜ぶからでしょう?」と言われました。私が「それでは、少なかったら悲しまれますか?」と聞くと、同じ方が「多い方が迫力があるし、やりがいがあるがある」と答えられました。みなさん如何でしょうか?私たちは先に仏様になられた方に、何かしてあげられる力を持ち合わせているのでしょうか?実は逆なのです。先に亡くなられて仏様となられた方が、私の事を心配し、仏様のご縁に呼んでくださっているのです。

 それではなぜ、私は心配されなくてはいけないのでしょうか?それは、法律的・道徳的に問題なかったとしても、仏様から見た私の姿が、決して褒められたものではないからです。

 それどころか、仏様と真逆の存在なのが私だからです。いつまでたっても自己中心であり、思い通りにならなかったら怒るし、自分の事、周りの事を知っているようにしながら、実は知らないことばかりであると、あげればきりがありません。

 ご法事とは、先にお浄土に還られた方を縁として、私が仏様のみ教えを聴かせていただく中で、仏様と比べてどうしようもない私を、絶対に救うと立ち上がり、至りとどいてくださった仏様のご恩を歓ぶ場所でありました。