法話集

法話集

布教団第一支部 紙面布教大会①

2021/08/01 08:00

 熊本教区布教団第一支部では毎年1月31日と5月31日に本願寺熊本別院にて布教大会を開催していますが、新型コロナのために2020年1月を最後に布教大会が開催できていない状態です。そこでこのたび若手布教使の研鑽もかねて文章による布教大会を行うことといたしました。
 若手布教使を中心に複数名が法話原稿を提出し、のべ10時間以上にわたるオンライン検討会を経て、まずは3名の法話を掲載させていただきます。
 教区内寺院へは7月末に教区報等とともに文書にしたものを郵送させていただきました。



「君は君 私は私 でも同行」

浄影寺 青木崇信

「君は君 私は私 でも同行」 広島県超覚寺様の掲示板のことば。
 感染拡大が進むなか、人と人との隔たりに思い悩んでいた時に出会ったことばでありました。「同行」とは、阿弥陀さまの同じ救いの中にある仲間という意味です。
 阿弥陀さまは、すべてのいのちのすがたをことごとくご覧になり、そのすべてのいのちを漏らさず救う仏さまであります。 南無阿弥陀仏の声の仏さまとなり、いついかなるときも、どのようなすがたであったとしても私にいつもご一緒して下さいます。
 「ひとりで寂しいから、外に出れば誰かに会えると思って出てきてしまいました」大晦日、渋谷の街に一人佇むマスク姿の若者の言葉。繁華街に集まる人たちを「不要不急」と必要以上に吊し上げる人々がTVなどのメディアでクローズアップされ、”自粛警察“という言葉も生まれたこの一年。私も知らず知らずのうちにその流れに乗り、TVの前で声高に「不要不急」と叫んでおります。ですが、「出てきてしまいました」とのマスク越しの声は、おそらく感染症を軽んじているわけではないでしょう。繁華街に出ることが好ましいことではないと理解した上で、それでも尚、出るよりほかなかったとの叫びのようにも聞こえます。TVを付ければいつも以上に華やかな番組ばかりの年末年始。おそらく実家に帰ることも許されず、部屋でひとり孤独に押しつぶされそうな不安な状況の中、人を感じる場を求めることはその若者にとって「不要不急」ではなかったのかもしれません。
 一方で、他を吊し上げ「不要不急」と声高に叫んでいる時の私もまた、実は不安の只中にあります。感染症への不安はもとより、コロナ禍による社会の変化で居場所を失うことへの不安。自粛をしているが故に人と会えず孤独を感じる日々。だからこそ自粛を頑張れば頑張るほど、繁華街に赴く人を見れば腹立たしく思い、他を攻撃しその不安を紛らわせているのです。しかしながら、メディアで”自粛警察“と批判されればまた不安に逆戻り。それでも、よくないことだと自覚しながらも「不要不急」の声を止めることができません。また、初めてひとり暮らしをした時、寂しさからひっきりなしに友人に電話をしていた過去を思い返すと、前述の若者と同じ環境であったならば、リスクがあるとわかりながらもマスクを着け繁華街に赴く衝動を止めることはできないでしょう。今の私と過去の私、環境は変化してもその時々で不安や孤独を感じていることに変わりありません。どちらも不安や孤独を抱えながらも、そこから解決する術を持ち合わせていないのが苦悩の私のすがたであります。
 その私のすがたをご覧になり、悲しまれ、その私を救いのめあてとされたのが阿弥陀さまです。不安と苦悩の歩みを自ら止めることのできない私を見抜いて、阿弥陀さまの方より救いの中に摂め取り、決して捨てることはありません。そして、声となりことばとなり「南無阿弥陀仏。あなたはすでに救いの中にありますよ。不安にはさせません、ひとりにはさせません、決して見捨てません。どんな時でもあなたと一緒に居りますよ。南無阿弥陀仏」と救いを告げて下さいます。
 阿弥陀さまはすべてのいのちを救う仏さま。それは、私がいついかなるときも、どのようなすがたのときも決して見捨てることはありません。自粛を頑張れば頑張るほど不安や孤独を感じて他を吊し上げかねない私、孤独に押しつぶされそうになりリスクを顧みず繁華街へ赴きかねない私、縁に触れればいかようにも変わっていく私を見抜いて、悲しまれ、そのすべてに寄り添い続けて下さるのが阿弥陀さまです。変わっていく私を救うには、すべてを救う仏さまとなるよりほかなかったのです。
 「君は君 私は私 でも同行」このことばは、前述の相反する二者が、実は同じ苦しみを抱え、その苦しみの存在をめあてとする阿弥陀さまの同じ救いの中にあったということ。同時に、二者のすがたは私のすがたであり、そのすがたに、私自身が改めて阿弥陀さまの救いの中にあったことを確かめさせていただきました。
 私が「不要不急」と声高に叫んでいるとき、お恥ずかしいことに自らは相手より優れているものとして、正しいものとして攻撃しています。しかしながら、自らが阿弥陀さまの救いのめあてである悲しい存在であることが明らかになったとき、相手よりも私が優れているどころか、反対に教え導いて下さっていたお同行であったと気付かされたことでした。
 大変お恥ずかしく、そして大切なことに向き合わせていただいたご縁でありました。



「人生を支えるもの」

光輪寺 岩男真智

 よく晴れた朝、お参りに行く道すがら、ある家の前で「いってきまーす。」と大きな声が聞こえました。小学生の男の子とその子のお母さんが玄関から出てきて、外まで見送りをしているようです。男の子は、私に気付くと大きな声で「おはようございます。」と挨拶をしてくれて、私の前を走って行きました。微笑ましい親子だな、いい子だなと思いながら男の子の背中を見ていると、ぱっと後ろに振り返って何度も手を振りながら「おかーさーん。」と言っています。驚いて私も一緒に振り返ってみると、お母さんはまだ、男の子の見送りをしながら「いってらっしゃーい。」と言って、手を振っているのです。また男の子は前を向き走り始めましたが、少し進むと振り返りお母さんに手を振っています。結局、ずっとお母さんは手を振りながら、男の子に声をかけ続けていました。男の子も、遠くに行けば行くほど叫ぶように「おかーさーん」と、呼び続けていました。
 この光景を見ていると、小学校の頃の記憶がよみがえりました。思い返してみると、小学校の頃は母がいつも見送ってくれていたように思います。そして、その見送られることを覚えているということは、きっとあの男の子のように母の名を呼んでいたのでしょう。母は私が喜んで学校に出かける時は、元気に送り出してくれましたが、私が不安そうに学校に出かける時は、「大丈夫かな。」と心配そうに送り出してくれたものです。私はそんなことなどすっかり忘れていましたが、皆様にも母親に見送られたという想い出がある方もおられるのではないでしょうか。
 親鸞聖人は『浄土和讃』に、「子の母をおもふがごとくにて 衆生仏を憶すれば 現前当来とほからず 如来を拝見うたがはず」とお念仏のこころをうたわれています。そのおこころは、子どもが母親を慕うように、阿弥陀さまをいつでも忘れることなく信じ、お念仏するならば、この世においても、将来お浄土に生まれても、私のすぐ側に阿弥陀さまはいて下さるのですよと仰っています。
 阿弥陀さまは私たちを我が子のように思って下さっていて、いつも私たちを見ておられます。そのおこころは、私が見た男の子のお母さんのように、見えなくなるまでわが子の手を振る呼びかけに答えようとするその姿と、似ているのかもしれません。そしてお母さんは、決して男の子の行く先に悲しい思いがないよう、苦しい思いがないよう、元気に家に帰って来ることを願いながら手を振っていたのだと思います。恐らく、その願いは男の子を学校に送り届けるだけの願いではありません。男の子の将来に至るまで、支え寄り添いたいという願いです。これからあの男の子は、私のようにお母さんとのやりとりを、何でもない日常として忘れていくのかもしれません。しかしこのような願いと愛情の中で育った男の子は、人生の苦しみにあっても母の名を呼び、母の面影がよみがえる時、「ひとりきりではなかった。私の人生には、いつも私を待ってくれる人がいたではないか。」と母の存在がそのまま、人生の支えであったのだと気づくのではないでしょうか。
 この親の深い願い・愛情というものは、我が子までにしか及ばない限りのある心ですが、阿弥陀さまは、私たちひとつひとつのいのちを我が子として願いのすべてをかけて、限りなくはたらいて下さる仏さまです。その願いのままが「南無阿弥陀仏です。「南無阿弥陀仏」は「必ず救う。我にまかせよ。」という親が子を喚ぶ声であり、また同時に子が親の願いに「はい。ありがとうございます」と返事をする声でもあります。つまり、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまの親の名のりなのです。
 阿弥陀さまは、いつでも私たちとご一緒です。手を合わせて、「南無阿弥陀仏」と、阿弥陀さまのお名前を呼ぶとき、私のそばに来て「あなたの親はここにいるよ。常に見護っているぞ。」と語りかけて下さっています。
 私がお念仏の意味も分からず称えていた時からもずっと変わらず、途切れることなく親の様に阿弥陀さまに願われ、喚び続けられていたことを、ご和讃を通して知らせていただきました。そしてお念仏は、私をひとりにさせまいとする親の喚び声であり、その喚び声は私の人生を支え、生き抜く力そのものであると慶ばせていただいております。



 

「ぎんぎんぎらぎら」

両嚴寺 郡浦智明

 民間宇宙船「クルードラゴン」に搭乗し約半年の間、宇宙に滞在していた宇宙飛行士の野口聡一さんが無事帰還されました。野口さんが宇宙に滞在している時、宇宙から見た地球の様子を写真に撮られて、日々インターネット上で紹介されていました。暗い漆黒の宇宙空間の中で、地球が綺麗に光り輝いている様子は、神秘的で美しいばかりです。ただそれを見ていて、私はふと疑問に思いました。「地球は光り輝いて見えるのに、宇宙はなぜ暗く漆黒に見えるのか。太陽の光は宇宙を通過しているはずなのに、なぜ地球だけ輝いて見えるのか。」と。調べてみると、地球には空気があり空気中にある微粒の塵に太陽の光が反射して、輝いて見えるという事がわかりました。その環境があるからこそ地球は、遥か彼方にある太陽から明るさやぬくもりなど、様々に恩恵を受ける事ができるというのです。それに対して宇宙の空間は、真空状態で空気もなく光を反射する環境がないので、暗くて冷たいというのです。光そのものが明るいわけではなく、光を反射する「めあて」がなければ、その明るさを感じることができないという事が、当たり前のようで改めて驚きでした。
 『仏説阿弥陀経』に「かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。」と説かれています。十方のあらゆる国をくまなく照らし、すべての衆生をさわりなく救いたまう、量り知れない光明の徳をもっておられるから「阿弥陀仏」と名づけたてまつるというのです。その光明のめあては、生死という苦悩を抱え迷い惑う衆生です。生死というのは生老病死の四苦といわれ生きるか死ぬかという話ではありせん。生まれてくる苦しみ、歳を重ねていく苦しみ、生きる上で病気も避けられないという苦しみ、命を終えていかなければいけない苦しみという根本的な苦しみの事です。自分の思い通りにならない苦悩を抱えている私が、阿弥陀さまのめあてなのです。
 我が家に、今年で九十六歳になる祖母がいます。最近の出来事を忘れてしまう事が多くなった祖母ですが、お寺に嫁いできた時の事、戦時中に苦労した時の事など、昔の事は鮮明に昨日あった事のように話してくれます。そんな祖母が昔に戻った様子で、楽しそうに私の子どもたちに、いろんな唄を歌い聞かせてくれる事があります。『夕日』という童謡も祖母がよく歌ってくれて、子どもたちもすっかり覚えてしまいました。
「ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
 ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
 まっかっかっか 空の雲
 みんなのお顔も まっかっか
 ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む」
 祖母や子どもたちが一緒に歌う『夕日』を聴きながら、私はそこに唄われている情景を想像してしまいます。この唄の舞台がどこなのかはわかりませんが、そこに暮らしている人たちが、それぞれに夕日に照らされているような情景が唄われています。そこには、いろんな境遇や思いを抱えながら、精一杯生きようとしている老若男女がいる事でしょう。その一人一人が、夕日によって照らされ、真っ赤に染め上げられ、ぎんぎんぎらぎら輝いているような情景を想像するのです。
 歌っているときは楽しそうな祖母ですが、最近は愚痴や弱音も増えてきました。年々足腰も弱り、認知症も少しずつ進んでいく中で、身も心も思い通りにならない自分自身に対して、情けなさや口惜しい思いが強いのかもしれません。そんな祖母ですが、日課である朝のお参りは欠かしません。朝食前に必ず本堂に座り、阿弥陀さまに向かって手を合わせ、普段は愚痴や弱音の多い口から、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と、お念仏がこぼれてきます。祖母が私に法話をする事はありませんが、祖母の口からお念仏がこぼれてくるすがたに、ご法話を聴聞したような思いになります。
 「苦悩を抱え、思い通りにならない我が身だけれども、この身がそのまま阿弥陀さまのはたらく場所だったよ。生きるか死ぬかのむなしい人生ではなく、阿弥陀さまに照らされ支えられ、この人生を歩み抜ける道が共々にあるんだよ。」と。
 祖母はその姿をとおして、同じ生死の苦悩を抱える私に、大事なことを教えてくれます。そのように思うと、私には祖母が輝いているように見えるのです。