法話集・寺院向け案内
10/23全寺院向けご案内
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・【教区】「第12回熊本教区差別法名問題現地学習会」開催のご案内
・【教区】熊本教区差別法名問題に関するアンケート依頼について(再送分)
・【仏婦】秋の一日研修会開催について(ご案内)
10/16 全寺院向けご案内
・【別院】法語カレンダー等取次のご案内
・【少年】熊本教区少年連盟指導者研修会のご案内
・【少年】第5ブロック(九州地区)少年連盟指導者研修会のご案内
・【仏青】仏教青年連盟ぶっとも!スポーツ大会のご案内
読む法話「ほんとうのこと」 (氷川町 種山組 西福寺 三原哲信)
以前、ある住職さんから「未来の住職塾」への参加を勧められました。この「未来の住職塾」は、さまざまな宗派のご住職や住職候補者が参加し、お寺の持つ潜在的な価値や、社会の変容を捉え僧侶の本来的な役割を探るカリキュラムです。私が参加した熊本クラスは、西本願寺熊本別院で開催されました。
主に九州全域からさまざまな宗派の若手僧侶や坊守さまが参加されました。お昼から夕方まで塾長の講義やワークで学びを深めますが、せっかく九州中から集まっていたので、閉講後は皆で毎回食事に出かけます。その懇親会の場では、ある暗黙の了解のようなものがありました。それは、自身の宗派の教えについては話をしすぎないように…というものでした。なぜならば、自分の宗派の教えについて熱く語るうちに、最終的にはせっかくの雰囲気を損なうことがあったからだそうです。しかし私たちの熊本クラスは、講義外でも独自に参加者のお寺を訪ねるくらい仲が良かったので、かなり踏み込んで、それぞれの宗派の教えについてお話を聞く機会がありました。
その場でのことです。何かのきっかけで祈祷(きとう)の話になりました。伝統仏教教団とはいえ、古い宗派から江戸時代に成立した新しい教団までありましたが、どの宗派にも一様に「願いごとが叶う」という教えと、それにまつわる祈祷法のようなものがありました。その話の脈絡の中で真宗の祈祷について聞かれましたが、私は真宗には祈祷がないのだと答えました。なぜ祈祷がないのかと問われたので、私の願いを叶えても私は本当の意味において幸せにはならない。なので真宗は、阿弥陀さまの御本願という願いの中に色あせない豊かさや幸せに出あわせて頂く教えだから祈祷がないのです、というようなことをお答えしました。しかし、どの宗派の方もピンとこられませんでした。むしろ「どうして仏教なのに、願いが叶わないのですか」「祈祷がない宗派があるって知りませんでした」と、不思議がっておられます。その時ふと思ったことは、よくも願いごとが叶わない浄土真宗のお寺がなくならなかったものだなということでした。遠い昔、願い事も叶わない教えやお寺なら必要ないと、淘汰されてもおかしくなかったかもしれません。しかし浄土真宗は日本で最も大きな宗派になりました。そして大きさだけではなく、真宗寺院は今も聞法の道場としてたくさんの人に色あせない豊かさをもたらし、私たちのお寺には生と死を超える営みがあります。
ならば先人は何を大切に思い、私たちのお寺を残してきたのでしょう。いろいろなことが考えられますが、親鸞さまによってあきらかにされたお念仏の教えは、自己中心的な願いごとが叶うどころではなく、私の生と死の意味が仏智によって変えられます。このことに出あった方々が、「これこそが大切だ」「このことひとつを、あの人に」と残してくださったのだと思います。私たちのお寺はきっと今日まで『ほんとうのこと』をつむいできたのです。この教えや受け継がれてきた私たちのお寺を、次の世代に伝え残してゆきたいと考えています。
9/24全寺院向けご案内
・【教区】『連研のための研究会』開催について(ご案内)
・【寺婦】寺族婦人一日研修会開催について(ご案内)
・【ビハーラ】ビハーラ第5連区研修会開催について(ご案内)
・【同宗連】部落解放第37回熊本県研究集会参加者募集について(ご案内)
・【九州国立博物館】特別展「法然と極楽浄土」開催案内
9/5全寺院向けご案内
読む法話「「また来るけんね」は母のよび声」 (八代市 種山組 大法寺 大松 龍昭)
九十を過ぎて次第に認知症が進んで以降、母は長姉の家に住まいを移し、そこで最後まで過ごしました。
亡くなる二か月ほど前のことです。発熱して母は近くの病院に入院しました。姉は母が寝たきりなることを心配し、熱が下がったら一旦退院させ、リハビリができる通所していた施設に移すつもりでした。しかし、私がその病院に初めて足を運んでその母の姿をみた時、「これはここを出ることはあるまい。きっとここが最後になるだろう」と私なりに気づきました。私はこれまで亡くなったご門徒さんの姿に何度も出あってきましたが、そのご門徒さんの姿とその時の母の姿が、完全に重なって見えたからです。なのでそれからは「次はない。これが最後なのだ」と自分に言い聞かせて見舞っていました。
ところが結果的に最後の見舞いとなったその日、看護師さんが「だいぶ食欲が落ちられました」と仰ったので、私は母に「ご飯は無理してでも食べなあかんよ」と声をかけ、母も理解したかのように二、三度頷きました。そしてその日、私は帰り際に母に「また来るけんね」と言ったのです。
確かに見舞いの帰りに「二度と来んけんね」と言って去る人はいないでしょう。「次に来るまで元気にしていてね」という思いで「また来るけんね」と言うのは、至って普通なことです。しかし、「次はない、これが最後だ」と自分に言い聞かせていた私は、この言葉がこの口から出たことに愕然としました。
この命は先送りなどできないものであること、明日とも今日とも知れない命をいま不思議にも生かされていること、したがってこの今を決して疎かにしてはならんのだということをこれまで何度も学んできたつもりだったのに、この口は「また来るけんね」と間違いなく言ったのです。
私は「やはりそうか」とつくづく思いました。どれほど大切なことですら、やすやすと忘れてしまう身の上の事実を忘れていたことを。だからこの命が尽きるまで、大切なことは繰り返し気づき直していかねばならないということを、また改めて母から学ばせてもらったのだと思ったことです。
そしてもう一つ思ったのは、「また来るけんね」は私が言うべき言葉ではなかったということです。親鸞聖人が「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と明かされている通り、阿弥陀仏より施された(回向)お念仏の道とは、この私がお浄土へと行き生まれて仏と成る(往相)と同時に、仏と成るがゆえにこの娑婆世界に必ず還ってくる(還相)ということでありました。
どのようにしてこの私が仏縁に出あったかということについては、それぞれに背景がありましょう。ただ、自ら求めてというよりは、私が図らずして誰かに導かれて気がついたら出あっていた、ということが多いのではないでしょうか。例えば、あの人との別れという悲しみと痛みが縁となってこの教えに出あった、ということも少なくはないでしょう。
だとするならば、その私が称えるお念仏はそのまま仏と成った亡き方のお陰でこぼれたお念仏であり、その合わさった両手もまた仏と成った亡き方のお陰で合わさった両手ということになりましょう。そしてそこに気づかされてくると、この私の称えるお念仏の中に、この私の合わせた両手の中に、そのはたらきにいつだって出あえるのだということも明らかになってくるはずです。つまり仏と成った亡き方とは、私がお浄土に生まれねばあえないのではなく、いまここであえるということです。「還ってくる」とはそういうことを意味しているはずで、姿・形として見えてくるのではなく、はたらきとして感じ取り、聞き取っていくものだと私は思います。
そういう意味において、「また来るけんね」はそもそも私が言うべきものではなかったのです。「気づいている通り、私の死はもう間近だよ。でもね、心配はいらない。この命終えて速やかに仏と成って、貴方がお念仏を称えるその口元に、そして貴方が合わせるその両手の中に、必ず繰り返しまた還ってくるからね、そのことにどうか気づいておくれね」という、母のよび声でありました。そのように味わえた時に、母との別れがより一層尊いものに思えたことでありました。
