法話集・寺院向け案内
読む法話「救われれるべき私であることを聞く」 (相良村 球磨組 聚教寺 恒松見照)
このお言葉は、阿弥陀如来が本願を起こされた理由は、只々この私のためであり、それを疑いなくいただけるご仏縁に出遇うことをお勧めくださっているものであります。
つまり、救われるべ きは私であったとお聞きかせていただくことこそ、浄土真宗のみ教えにおいてもっとも大切なところといわれているのです。
日頃この私は、毎日の生活に必死で、自分が楽になれることばかりを求め生きています。
そして、自分と異なる思考や価値観を苦手とし、縁があれば争いまで起こしてしまう人生です。
振り返りますと、今年2025年は「戦後80年」といわれます。
まさに、人と人が引き起こしてきた戦争は「お互いの違いを認められない心」と「自分さえよければいいとする心」、そして「自分の方が正しいと思う心」が生み出したものではなかったでしょうか。
かつて、本願寺第24代大谷光真ご門主が執筆された『愚の力』の中で、
阿弥陀如来が救うといわれるのは、私がこのままではいけないから救ってくださるのです。
私の側が「このままでいいのですよ」との姿勢であったならば、救いも何もいりません。
とご教示くださっています。
このようにお聞きしますと、私のことを常にご心配くださり、「このままにしてはおかない」とおはたらきくださる阿弥陀如来のあたたかいお心を無駄にしないようにしたいと思わずにはおられません。
み仏と共に生きておられた念仏者の方々を見習いたいものであります。
教区内寺院向けのメール配信を準備中です
正式運用開始は7月を予定しております。
【スケジュール】
6月2日まで 各組において希望寺院のメールアドレス取りまとめ
6月中 全寺院への郵送案内に併せてメール配信テスト
7月より 正式運用開始
※全寺院への郵送物により、スケジュールが変更となる場合があります。
予めご了承ください。
なお、本ページに配信したメールを確認することができるよう準備中です。
読む法話「変わらない仏様」 (熊本市 緑陽組 雲晴寺 甲斐陽瑞)
昨今の世界情勢に目を向けてみますと、グローバル化や多様性が重視されるようになってきているようです。ここ熊本においてもTSMCの工場が出来たのをきっかけに菊陽周辺のみならず県内全体で海外から移住してこられた方が増えてきているようです。
近所の方と話をしていると、そうした海外から来られた方が地域コミュニティに与える影響を心配している声も聞こえてきます。受け入れる側からしたらそのような不安もあるでしょう。逆に移住してこられる方もちゃんと暮らしていけるのか不安を抱えられていることと思います。私達が暮らしているこの世界は絶え間なく変化し続けています。
変化し続けることを仏教の言葉でいえば諸行無常といいます。ありとあらゆるものは絶え間なく変化し続けて一瞬も同じ時がないのです。私自身のこの肉体も絶え間なく変わり続けているし、私を取り巻く環境も同じく変化し続けているのです。変わり続けるというのは落ち着かず不安なものです。今どんなに健康で元気な人であっても明日も変わらず元気でいる保障はどこにも無いのです。
サラリーマン川柳にこんな句がありました。
「集まれば 昔恋バナ 今健康」
年齢を重ねていくと健康に関する話題が増えてきます。どんなにいつまでも健康でいたいと思っていても、何事も無く健康で生涯を過ごされる方というのはそうそうおられないんじゃないでしょうか。
ほかにも、
「定年が 伸びる期待と 増す不安」
こんな句を詠まれてる方もありました。
以前は60歳が定年で後は年金でゆったりと暮らすことが出来たようですが、今は定年を過ぎても何かしらの仕事をしていないと生活に不安がある時代になってしまいました。
私達が暮らすこの世界というのは健康であったりお金の不安であったりと変わり続けるがゆえに様々な苦しみに遭っていかねばならない世界であったんです。
そうやって変わり続ける私たちの世界とは反対に永遠に変わることが無いのが仏様の世界なんです。仏教における真理とは、世界のありのままの姿の事をいいます。
すべてのものは他のものと関わりあって存在しているという縁起。
すべてのものが常に変化するという諸行無常。
すべてのものは実体を持たないという諸法無我。
お釈迦様が悟られたこれらの真理は、お釈迦様が作り出されたものではありません。この真理はお釈迦様が誕生される前から存在し、お釈迦様が亡くなられた後も存在し続けているものなんです。
この変わることの無いありのままの世界から私たちに向けてはたらいてくださるのが阿弥陀仏という仏様なのだと、親鸞聖人はお示しくださいました。
さらに親鸞聖人は御和讃のなかに
「久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏 五濁(ごじょく)の凡愚(ぼんぐ)をあはれみて
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)としめしてぞ 迦耶城(がやじょう)には応現する」
とお詠みになっています。親鸞聖人は永遠の仏様である阿弥陀仏が、私たちを救うためにお釈迦様となって私たちの世界に出てくださったのだと詠まれているのです。
阿弥陀仏の本当のお姿は変わることの無い永遠の真理そのものなので、私たちには見ることも出来ない仏様です。そのために様々なお姿をお取りになって私のためにはたらいていてくださいます。お釈迦様としてこの世に出てくださったお姿やお寺の本堂やお仏壇に安置されているお木像や名号のお掛け軸。これらはすべて私がわかるようにお姿をあらわしてくださった阿弥陀仏のお姿なんです。
様々なお姿をお取りになるとはいいますがその本質は決して変わることはありません。いつまでも変わらずに私を願い続け、私のためにはたらき続けていてくださるのが阿弥陀仏という変わることの無い仏様であったんです。
変わり続ける中に苦しんでいる私の姿をお見抜きになって、変わることの無い阿弥陀仏という仏様になって私のためにはたらき続けていて下さったんです。
変わるということは悪い事ばかりではなく状況が好転するかもしれないという希望もありますが、どうなるのかわからないという不安は付きまといます。だからこそ私を案じてくださる阿弥陀仏が共にこの命歩んでいてくださったんです。変わり続けるこの世界を変わることの無い阿弥陀仏とご一緒に一歩一歩、歩んでいくお念仏申す日暮を送らせていただきたいと思うことであります。
南無阿弥陀仏
読む法話「またがんそ」 (芦北町 芦北組 覺應寺 葦原顕信)
以前宮崎県都城市のお寺の法務員をしていたときのことです。初めて住む土地。道がわからないのはもちろん、話しかけられる言葉も最初の頃は全然理解できず戸惑ったものでした。都城市を含む地域で使われる言葉は「諸県弁(もろかたべん)」と呼ばれ、とても特殊な表現が多くあります。この諸県弁がフランス語に聞こえることを利用したPR動画を小林市が作っているくらいです。ですから世間話一つ理解できない私に、その都度ご門徒さんが様々な言葉を教えてくださいました。
その中で特に印象深いのが、「めあげんそ」と「またがんそ」という言葉です。「めあげんそ」は人の家を訪ねるときに言います。「めあげんそ」とは「みあげもそ」とも言い、「お土産持ってきましたよ」を短くした言葉だそうです。そして今度は帰る時、別れるときに言うのが「またがんそ」です。「また会いましょう」という意味だそうです。
この言葉を教えてもらったとき、良い言葉だなぁと思いました。では、なぜ「さよなら」ではなく、「また会いましょう」と言うのでしょう?これでお別れだと思っているなら出てこない言葉です。
ということは、たとえ今別れることになっても、また会う場所がある、また会う時間がある、そしてまた会いたいと願っている。だからこそ「またがんそ」という表現がうまれたのではないでしょうか。
『仏説阿弥陀経』というお経さまに、
舎利弗(しゃりほつ)、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑは
いかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。
(現代語訳)
舎利弗よ、 このようなありさまを聞いたなら、 ぜひともその国に生れたいと願うがよい。そのわ
けは、 これらのすぐれた聖者たちと、 ともに同じところに集うことができるからである。
というお言葉がありますが、これはつまり、「お浄土でまた会いましょう」ということであります。
阿弥陀様の願いに出遇うものはみな、お浄土でまた会う世界を恵まれるのです。
そして、その阿弥陀様の願いは「南無阿弥陀仏」と我が声となってくださっているのですから、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えするところには、このいのち終えたときただ別れていくのではなく「また会いましょう」と言える世界が広がっていくのです。
せっかく「またがんそ」と言える人生、思い出やおみのりをひとつでも多くお土産に持たせてもらいながら、一日一日を送りたいものです。
新年のご挨拶 熊本教区教務所長・熊本別院輪番 大辻󠄀子 順紀
慈光迎春
お念仏とともに新年を迎えられましたこと、皆さまとご一緒に慶び感謝申しあげたく存じます。
- さて、昨年6月19日に熊本城ホールにおいて、「熊本教区・本願寺熊本別院親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を盛大かつ立派にお勤めすることができました。これも偏に仏祖のご加護はもとより、熊本教区並びに熊本別院の皆さまのご協賛の賜物と改めて厚く感謝申しあげます。
- 各組長や法要スタッフのご尽力をはじめ、お参りいただきましたお一人おひとりのお念仏を慶ぶ思い、そしてお念仏を大事にご相続されてきた先人方のお導き、そして何より阿弥陀さまのご催促のお蔭でありました。そんなことにも気づかず自分勝手な思いやちっぽけな考えのなかにお念仏を閉じ込めておったなと、改めて思い知らされたことであり、大変申し訳ないことでした。
- 合掌
読む法話「真のお導師」 ( 芦北町 芦北組 覚円寺 黒田了智)
現在の葬儀は火葬で行いますが、かつて50〜60年ほど前までは、土葬の葬儀がまだ行われていました。土葬と火葬で色々な面で違いがありますが、一つは棺の形が違います。現在の棺はご遺体を寝せてご安置する「寝棺」ですが、土葬時代の棺は座らせてご安置する「座棺」でありました。寝棺であれば顔は上を向いておられるので、向きは問題になりませんが、座棺となると顔の向きが決まってきます。果たしてどちらに向けてご安置していたのでしょうか。
葬儀をお別れの式と捉えるならば、お参りの方と顔を合わせてという事で、参列の方の方に顔を向けていたのでは?と思いますが、そうではなく、仏様の方に顔を向け、参列の方には背中を向けてご安置していたようです。さらに、棺の上には葬儀の際に導師が付ける七條袈裟(しちじょうげさ)と七條袈裟の肩口につける修多羅(しゅたら)という紐を乗せてお勤めしておりました。この事は一体何を意味するのでしょうか。
葬儀の際にお勤めをする僧侶の事を「導師」といいます。真実の教えに導いて下さる先生という意味です。実際の導師はお手次のお寺の住職がされますが、「真のお導師」は亡くなられた故人である、という事が、先ほど挙げた棺のご安置の仕方に表されていた、という事であります。
それでは、何を教えて下さる先生なのか。まず、自らの生命を持って「誰もが必ず生命終えていかねばならない」という私たちの逃れ難い現実を教えてくださる先生であります。さらにその「必ず生命終えていかねばならない」私たちの生命を、決して死んで終わりの生命には終わらせないとはたらき、お浄土に生まれさせ仏と仕上げて下さる阿弥陀如来の教えに導いて下さる先生であります。もう既にお浄土に生まれられて、私たちもたどっていくお浄土への道筋を示して頂いた方でありました。
土葬から火葬へと葬儀の形は変われど、その心は変わりません。葬儀は単にお別れの式ではなく、私たちが大事な教えに遇わせて頂く尊いご縁であります。そしてそれを教えて下さるのが亡くなった故人でありました、という中に、別れの寂しさと共に、有難うございますと、手が合わさっていく事でありました。