法話集・寺院向け案内
読む法話「迷いの人生」(玉名市 高瀬組 安楽寺 入江 祥裕)
以前このような話を聞かせていただきました。
時間は過去と現在と未来に分けられます。では、未来は前と後ろ、どちらにあると思いますか?と質問されたらどちらに指を差しますか?前ですか後ろにあると思いますか?大体、前に指をさす方が多いのではないでしょうか。皆さんの未来は前ですね。
前という漢字は「まえ」以外に「さき」とも読みます(青森県の弘前<ひろさき>市が有名ですね)。後ろという漢字は「のち、あと」と読みます。そうしたら、なぜ昨日のことは一日前というのでしょうか?一昨日のことは二日前といったり、去年のことは一年前というんでしょうか?また、明日のことは一日後と表現します。明後日のことは二日後、来年のことは一年後といいます。
何がいいたいかというと、前は未来ではないということです。その証拠に私から見える方を前といいます。未来は「いまだ来たらず」ですから何も見えません。つまり前は過去です。「あの時はこうだったな。あの時はあーだったな」と過去は見えます。見えているものは過去の事ばかりで、明日どうなっているのか。明後日、一ヶ月後、来年どうなっているということはわかりません。何一つ見えていません。なぜか。それは未来を背にして後ずさりしながら生きているからです。
つまり私たちの人生は生まれた時から、前を向いて歩いている人生ではなかったということです。我々は生まれてどんな人生歩んできたか、それは後ずさりをしながら生きてきたということです。これこそ私たちが人生を歩んでいる本当の姿だったんです。その事に誰も気づいていません。
後ずさりの人生は怖いです。どこに向かって歩んでいるかわかりません。しかも何があるかわからなければ、何に当たるかわからない。人にぶつかるかもしれない。私は人生をそんな姿で歩んでいるんです。だからどこに向かっているかわからない。この姿を「迷いの人生」といいます。
とお話しされました。
私たちは生まれてからこの方、後ずさりしながら迷いの人生を歩み続けてきました。そういう私たちの姿をご覧になり「これは危なっかしい、ほおってはおけん」と自ら立ち上がり、自ら私たちを抱きとり「あなたのいのちの行き先はもう定めておきました。だからどうかその人生、お浄土に生まれるいのちといただきながら歩んでおくれ」と願い、導いてくださる仏さまが阿弥陀如来という仏様です。その言葉を素直に受け入れた時、迷いの人生を顧みながらも確かな人生が恵まれるのではないでしょうか。
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読む法話「いのちの終わり」(宇土市 宇土北組 宝林寺 經 智敬)
寒さ厳しいなかにも梅がつぼみをふくらませ、ちらほらと花を咲かせているのを見ると春のおとずれを感じます。
春を迎えるといろいろな花が次から次に咲き始めます。しかし、その咲きほこった花もやがては散っていく。
こんなうたがあります。
桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹崩れて 菊は舞う
花のいのちの終わりを喩えあらわしたうたです。
桜は散り際の潔さから「散る」と言い、
梅は丸みのある花弁の散り際がぽろぽろと涙をこぼすように見えることから「こぼれる」と言い、
椿はポトリと「落ちる」と、牡丹は花弁の大きさから「崩れる」と言い、
菊は枯れた時の花弁が勢いよく散るところから「舞う」と言われています。
ちなみに、朝顔は「しぼむ」、紫陽花は枯れたままその場に残るので「しがみつく」と言うそうです。
このように、それぞれの花にいのちの終わりを喩えた言葉があるのです。
では、私たちはどのようにいのちを終えていくのでしょうか
一般には、あの方は「死んだ」、あの人は「亡くなった」のだと言われます。
しかし、それぞれの尊い人生を歩んだそのいのちの終わりが、ただ「死んだ」、「亡くなった」と言われるだけなのはとてもさびしく思います。
私たちは、阿弥陀さまのみ教えをいただいています。南無阿弥陀仏とお念仏申させていただく身にならせてもらいました。
お念仏をよろこぶものは、死んで「終わる」のではなく、「亡くなっていく」のでもなく、「生まれ往く」のだと聞かせていただきました。
親鸞聖人のご和讃に、
生死(しょうじ)の苦海ほとりなし 久しくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
とあります。
迷いの中にしずんでいるこの私を必ずおさめとる仏さま。
「乗りて必ず」ではなく「乗せて必ず」とはたらいてくださり、どのような人生であっても決して見はなさず、この私を抱き取って仏とならしめお浄土へと生まれさせてくださる仏さまが阿弥陀さまなのです。
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