法話集

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読む法話 「目印」 (八代市 大法寺 大松龍昭)

2021/11/16 14:03
 あるご門徒のお宅へお参りに向かっていた時のことです。近くには直線の道路があり、 その途中の T 字路を左折すればその先にお宅があるのですが、その日私はそのT字路を 通り過ぎてしまいました。?とは思いつつも、慌てずに U ターンしてまたその直線を走 りましたが、私はまたもその T 字路を通りすぎてしまいました。これにはさすがに不安 になりましたが、また U ターンして三度目はゆっくりと T 字路をよく確認しながら走り ました。ところが、また私は T 字路を通りすぎてしまったのです。一体どういうことか と車を止めてよくよく確認したところ、実はその T 字路の角には古い小屋が建っていた のですが、それが解体されて更地になっていたのです。なるほどと思いました。私は道順 から何から自分が覚えていると思っていたのですが、そうではなくてその小屋が目印とな って、私はただそれに導かれていたに過ぎなかったのです。
 そう気づいたときに、まさに私たちの人生もその通りだろうと思いました。歳を重ねて いきますと、私たちは今の自分は己の努力と苦労によって築き上げてきたんだと思ってい るところがあると思います。それも嘘ではありません。しかし私たちは人生の局面局面で、 目印となる存在に幾度も出会い、それに導かれ導かれして今日の自分がある、それが事実 ではないでしょうか。その存在とは、もしかすると亡くなったあの方かもしれません。ま だ隣にいてくれているその方しれません。またそれは身内とは限りません。そしてそれは 1 人でもないはずです。その存在に気づくということは、私の命をより豊かなものに変えな していくことでしょう。
 そしていま、私たちはお聴聞の現場にいるわけです。しかしそれもきっと私のしでかし た事ではなくて、何某かの目印や道標に導かれて、いまこのように仏縁に恵まれているの ではないでしょうか。ぜひ合わせてそのことも味わっておきたいと思うことであります。