法話集

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読む法話「モノの見方、考え方」 (天草市 天草下組 西明寺 佐々木教将)

2022/04/15 09:00

 「「凡夫」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと…」
 《現代語訳》
 「「凡夫」 というのは、 わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、 まさに命が終ろうとするそのときまで、 止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもないと…。」

『一念多念文意』

 ここ二、三年のコロナ禍で外出ができなくなりテレビを観ることが増えました。そんな中私が最近観ている番組で「ポツンと一軒家」があります。皆さんはご覧になられたことありますか?
 この番組は、人里離れたところにポツンと建っている一軒家を探し、そこで暮らす人に取材をするバラエティです。私が最初この番組を観たときは、本当にこんな山奥に夫婦二人とか、一人で住まわれているのかと、その事ばかりに驚いていました。けれども回を重ねるうちに住人の方のそこにむようになった理由や生い立ち、または土地の魅力など、むしろそちらのほうに興味を惹かれることが多くなっていきました。また、この番組はときに私に新たな気づきを与えてくれることもあります。
 この番組の中でとても私の印象に残っている回があります。あるご高齢の男性(以下、さん)のお話です。
 Aさんは奥さんを先に亡くされていますしかし、一人で畑を作り、薪割りをし、食事を用意して楽しそうに暮らしていらっしゃいした
 
取材の中でご自身の少年の頃の話をされたのですが、さんは毎日小学校へ行くのに、kmの坂道を下り、その先にある昼でも暗い小高い丘の森を抜け、その下にまた3kmの上り下り坂を歩いて登校していたそうです
 そこを一人で通っている頃は、なんでこんな道を通って毎日登校しないといけないのかと嫌で嫌で仕方がなかったそうですさんにとってこの長い通学路は自分への障(さわ)りだったのです。
 しかしある日、さんの家の近所に女の子が引っ越して来たそうです。三歳下の子で翌日からその女の子とさんは二人で手を繋いで通学するようになりました。それからというもの行きも帰りも二人一緒で、毎日が楽しく、今まで嫌だ嫌だと思っていた坂道も暗い森も微塵たりとも苦になりません。これが幸せなんだと当時のさんは女の子と登校下校する度に思っていたそうです。私にもその気持ち分かります。私の青春を思い出しました。
 
そこで話は現在に戻るのですが、今から年前にその女の子はお浄土に往生されたそうです。続けてさんは、それが私の妻です。共に苦労をしてその苦労が報われました。」とお話しされておりました。さんの後ろにあったお仏壇にはその女性の写真と阿弥陀さま安置されておりました。
 この回を観て私は、青春を共に歩んだ奥様を亡くしたさんにはとても言葉にならない悲しさ辛さがあるのだろうと思いましたが、れ以上にさんにとって毎日嫌だ嫌だと思っていた道が奥様との出会いにより逆に幸せを感じる道になったことに共感させられるものがありました
 先程のさんの話で、毎日嫌だ嫌だと通ってた道が、ある日からまだ着きたくない、帰りたくない道へと変わったとありましたが、私自身にも似た経験があったからです。私は高校に通っていた頃、自転車で毎日45分かけて登校していました。長い長い上り坂を一人ぼっちでハーハーと息を荒げて汗を流しながら自転車を漕いだものです。しかし学校で友達ができると、それまで辛かっただけの道も早く学校に着きたいと思うわくわくした道になっていました。一つのきっかけで私の中のモノの見方、考え方が変わったのです。裏を返せば、きっかけ次第でなんとでも思ってしまう我が身であります。
 このような私の姿を凡夫といいます。
 今回冒頭にいただいたお言葉は浄土真宗を開かれました親鸞聖人が私に顕わしてくださったお言葉です。凡夫というのは阿弥陀さまがご覧になった私の姿であります。分かりやすくうと、自己中心的なモノの見方、考え方しかできないこの私ということです。
 そして、「南無阿弥陀仏」お念仏称えさせていただいているということは、もうすでに阿弥陀さまのおはたらきが私のもとに届いてくださっておるということも親鸞聖人はお示しくださっています。阿弥陀さまのおはたらきに私が照らされていたからこそ気く私の凡夫という姿。そんな凡夫である私を見捨てず、放さずの阿弥陀さまと一緒に私は今、往生浄土への歩みをさせていただいております。
 
ふとしたことで「モノの見方、考え方」が変わってしまう、私の凡夫という姿をあらためて気づかせていただいたさんの回は私にとって大切なご縁でありました。
 
コロナ感染拡大や戦争が勃発する緊迫した現状でありますが、一日一日を丁寧に過ごしたいものです。             

称名