法話集

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読む法話「本願力」 (玉名市 高瀬組 安楽寺 入江祥裕)

2023/04/06 09:00

 以前、友人の結婚披露宴に出席した時の事です。新郎の挨拶が終わり、新郎新婦は退場。エンドロールが流れ、薄暗かった会場が明るくなりました。すると天井からヒラヒラと大きな紙吹雪が舞い降りてきました。とても綺麗な演出でしたが、私は友人と2次会に向かうべく足早に会場を後にしようとしておりました。

 その時です。「今、天井からペーパーアートが舞い降りて来ています。その中に「アタリ」と書いてある紙が2枚紛れ込んでいます。見つけた方は出口で新郎新婦からプレゼントを受け取ってお帰り下さい」とアナウンスが流れました。その瞬間、私はどのような行動をとったか。方向転換をして落ちていたペーパーアートを拾い集め、「アタリ」を探し求めていました。

 私の体は出口に向かって歩みを進めていましたが、いつの間にか自分の意志とは反対の方向を歩んでいました。もちろんアナウンスが聞こえたからではあるのですが、そうアナウンスせしめて私にそのような行動をとらしめたものは、数か月前から、出席者に喜んでほしいと企画していた新郎新婦の強い願いでした。ちなみに残念ながら「アタリ」を見つけることは出来ませんでした。

 親鸞聖人は『高僧和讃』に
  本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海満ち満ちて 煩悩の濁水へだてなし
  《現代語訳》
  本願のはたらきにであったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳をそなえた名号は  
  宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。
 とお示しくださいました。

 「本願」は阿弥陀様から私たちへのお願いであり、願いの通り変化を与えるはたらきを「力」と言います。

 阿弥陀様の願いの言葉を聞こうともせず、背を向け反対方向を歩んでいた私が、今阿弥陀様の方を向いて手を合わせてお念仏申している。私から向かっていったわけでもないのに阿弥陀様とのご縁が今結ばれているということは、私自身が求め動いたからではありませんでした。

そうではなくて阿弥陀様がどのような仏縁も見逃すことなく常にはたらき、この私をお念仏申す身に育て、導いて下さっていたからに他なりません。その力こそ阿弥陀様の願いの力、本願力でありました。

今、私は阿弥陀様に抱かれながらこの厳しい人生を、わが身のあるまじき姿を省みながら、お浄土へと一歩一歩歩ませて頂いている道中であります。