法話集
読む法話「私の阿弥陀仏」 ( 益城町 益北組 壽徳寺 河邉梨奈)
マスクを手放せなかった日々からしてみれば、人の行き来も、各種行事も、元のペースに戻った感のある今日この頃ですが、文字通り「辛抱」をして過ごされた体験談をお聞かせ頂くことがあります。
新型コロナウイルス感染症が流行し、親しい人と会う事さえ自粛せざるを得なかった時期に、お連れ合いをなくされた女性、Aさんがおられました。入院中の面会も思うようには許されず、訪れる人もいない中、Aさんは心細さに耐え、仕方ないのだと自身を納得させて覚悟しておられたそうです。
ところが、通夜・葬儀の段になり、本来ならば多くの参列者で埋まるはずの場所が、がらんとした空席であったのを目にした瞬間、激しく動揺してしまったといいます。
どうして、私の夫の通夜葬儀には誰も来てくれないの?と。
「お腹の底からとんでもない怒りと情けなさが湧いて湧いて止まらなかったの、だから泣いちゃったの、亡くした悲しみとは違う涙が出たのよ。」
時が流れて、何度目かの月参り。お茶を淹れつつポツリポツリと漏らされるその言葉を只々、聞かせて頂いたことでした。
心は自分の意思でコントロールできるものではなかったのです。どんなに穏やかであろうと努めても、自分の起こした波によって一瞬で荒れていくのが私の心です。
「いはんやわが弥陀は名をもって物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦(じゅ)するに、無辺の聖徳(し
ょうとく)、識心(しきしん)に攬入(らんにゅう)す。
親鸞聖人著『教行信証 行巻』 ~元照律師(がんじょうりっし)の『弥陀経義』より引文~
(現代語訳)
「まして、 阿弥陀仏は名号をもって衆生を摂め取られるのである。 そこで、 この名号を耳に聞き、 口に称えると、 限り
ない尊い功徳が心に入りこむのである。」
阿弥陀仏は、そんな私の性質を見抜かれたのです。「波を立てるな」とは要求されず、私の状況、機嫌を問わない仏となられました。いかなる時でも声となって出る、六字の南無阿弥陀仏となられ、届いて下さるのです。
北宋の元照律師(がんじょうりっし)は「私の阿弥陀仏」とよろこびを書き残されました。鎌倉時代の親鸞聖人もまた「私の阿弥陀仏」とよろこばれ、現代を生きる私に伝えて下さいました。
去年、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要に2人の子どもと共に参拝しました。久しぶりのご本山、そして今回のような大法要のご縁に遇うことは難しいと思い、御影堂に響くような大きな声でお念仏しようと思ったのですが、子ども達が参拝する姿を見ていると胸がいっぱいになり、最初のお念仏は声に出すことが出来ませんでした。
しかし、詰まった声、涙にむせぶ声、声にならないそのままで、お念仏は出るのです。
さらには、嬉しくて弾む声、怒りに満ちた棘のある声、辛く沈んだ声、老いや病を得て、意のままにならない声、お念仏は声を選ばないのです。
「識心に攬入(らんにゅう)す」の「攬」には「手中におさめて、よせる」の意味があります。阿弥陀仏の方から私をとらえて離さず、すべての功徳を私にふり向け、染み渡って下さるのです。
心が波立たなくなるわけではありません。ですが、怒りと悲しみを露わにしながらも手が合わさり、お念仏なさるAさんのお姿に頭が下がるのです。