法話集
読む法話「ご安心とご恩報謝」 (山鹿市 山鹿組 常法寺 佐々木高彰)
ご当流のみ教えは、「信前行後」がご定です。
その心を親鸞聖人は『正像末和讃』に、
「弥陀の尊号となへつつ 信楽まことにうるひとは
憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」
と示されます。
壮年期を過ごした関東から六十歳を超えて再び京都にお戻りに成った親鸞聖人には、関東同行から多くの質問が送られて参ります。聖人は折々にお便りを認(したた)められました。
その中で、関東の同行に対し、
「我が心の悪き往生は無理と言う人には、心のままにて往生は一定ですと申して下さい。しかし、お念仏のお誓いを聞いて、阿弥陀様のお心を深く信じる人は、薬ありとて、毒好むべからずとなるのです。」
と戒めておられます。
その心を滋賀県の覚上寺超然和上は、著書『里耳譚(りじたん)』に
「寝姿に 叱り手の無き 暗さかな」
と。 阿弥陀様のお救いは如何なる者も救います。「本願を妨げる程の悪無きゆえに」と…。
しかし、お慈悲を喜ぶ様に成った人は、
「寝姿の 美しゅうなる 夜寒かな」
如何なる姿も許すとは言うとも、真冬寒い中に布団を蹴飛ばして寝る人は居ません。自ずと襟元を整えて休む様に、仏様の心を模倣して生きるのも、ご恩報謝の姿です。
昭和三十四年九月二十六日、東海地方は、伊勢湾台風の大被害を被りました。京都で多くの学生さん達が街頭に出て募金活動をしたとき、独りの小学生が学生さんに向かって、
「お兄ちゃん、寄付は幾らでも良いですか?」
と。そこで学生さんが、
「幾らでも良いですよ。」
と。すると小学生は十円を募金箱に入れるや、三円おつりを頂戴と…。
学生さんは驚いて、
「ボウヤなにに使うの?」
と。すると、
「母のお手伝いで四条河原町まで嵯峨野から来て残りのお小遣いは二十円しかなく、帰りの電車賃が十三円必要です。そこで七円を寄付したいのです。」
と。学生さんは三円を手わたしました。すると電車の中から、
「お兄ちゃん、たった七円しか寄付できずにゴメンナサイ。」
と。この少年を学生さんは合掌して見送りました。
*するんじゃ無い させていただくのです。