法話集

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読む法話「死んだら、どうなるの?」 (熊本市 託麻組 良覚寺 吉村隆真)

2024/11/01 09:00

 本年を振り返れば、元日に北陸地方で大地震が、2日には東京羽田空港で航空機事故、さらに3日には北九州市小倉北区で大規模火災まで発生し、心が痛む始まりとなりました。
 
私の身辺でも、12月30日にお二人が相次いで往生を遂げられ、年明け早々の通夜・葬儀でした。いつも死は「待ったなし」です。私たちの勝手な都合が入り込む余地さえありません。

 一休さんの愛称で親しまれ、アニメの主人公のモデルでも知られる一休禅師(一休宗純)は実在した人物で、室町時代を生き抜いた臨済宗の僧侶です。様々な逸話が残されていますが、中でも次の短歌は有名です。

「門松や(は) 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

「門松」は正月を象徴するお飾りで、「冥土」は死後の世界を表す一般的な言葉です。「浄土」真宗の私たちには用のない言葉ですが、世間では「冥土のみやげ」などの表現で使われます。「一里塚」とは、当時の街道沿いに約4㎞毎に設けられていた道標で、旅人にとって欠かせない目印でした。この歌は、人生を死への旅路に例えて詠まれているのでしょう。新年を迎えると、世間は「めでたい」とお祝いムードですが、裏を返せば確実に一歩、自らの命日が近づいたことに他なりません。そのように考えてみるならば、「明けましておめでとう」の賀詞は、死というゴールへ向かって、また「一里」歩みを進めたという宣言とも言えます。その事実に目を向けず、浮かれてばかりいたのでは、この人生は夢か幻のように、瞬く間に過ぎ去ってしまうとの諭しでしょう。

 人生の体感速度は、年齢に比例して加速する一方ではありませんか? 子どもの頃には徒歩ぐらいのスピードだったのが、やがて自転車、さらには自動車の速度へと加速し、今や高速道路を走っているような感覚で、あっという間に1年が過ぎ去っていきます。いつ・どこで・誰が・どのような事態に遭遇して死を迎えても不思議ではない無常の世を生きている私たちです。死の縁は無量であり、死は必然なのです。体脂肪率には個人差がありますが、生ある者の死亡率は例外なく100%です。多くの人は、この現前たる事実に気づいていないか、忘れたまま人生を謳歌しているかのようです。

 ところで、あなたは飛行機に搭乗した経験があるでしょうか? 着陸できる確証がない状況では、決して離陸させないのが航空機の運航ルールです。自動車であれば、目的地の駐車場が混雑していても、路肩に停車して順番を待てば済みます。しかし、飛行機はそうはいきません。仮に見切り発進で飛び立ったとして着陸できなかった場合、上空を旋回して順番を待つことになります。受け入れ先の空港が見つからないまま燃料が尽きれば、墜落する事態を招きかねません。出発する前に着陸地点が確約されていなければならないのが飛行機です。

 では、私たちの人生を考察してみましょう。誕生に際して、事前にさまざまな説明を受けて産声を上げた人など誰もいません。人生の意味や生きる目的はおろか、「死んだら、どうなるのか?」この問いに対する答えなど持ち合わせずに、まさに見切り発車でこの世に生を授かったのが私たちです。それはまさに、着陸地点の確約がないにもかかわらず飛び立ってしまった飛行機と同じです。飛行機であれば、離陸した空港に舞い戻るという方法もありますが、人生そうはいきません。いつ訪れるかもわからないタイムリミットへのカウントダウンが進む中、各々が与えられた制限時間内に確かな着陸地点を求めなければならないのです。こんなに心配な不確定要素はありません。

 もし、あなたが搭乗した飛行機が徐々に高度を上げ、上空で安定飛行に入ったとしましょう。本来であれば、シートベルト着用サインも消え、ドリンクサービスが始まる安心できるひとときです。ところが、機長から「当機は只今のところ、着陸空港が決まっておりません。飛行中に探してみつける予定ではありますが、万が一みつからない場合は不時着、もしくは最悪の場合には墜落も覚悟してください」との緊急アナウンスが流れたとしたら、いかがでしょう? 恐怖と不安で機内は一瞬にしてパニックになるはずです。実は人生も同じ状況にあるという事実に、どれだけの人が気づけているでしょう?

「死んだら、どうなるのか?」この問いに確かな答えが与えられている人生は、安心できるフライトと言えます。しかし、そうでない人生に安心などありはしません。なのに、多くの人々は、着陸よりも目先のことばかりに一生懸命です。

 間もなくシートベルト着用サインが点灯し、必ず着陸態勢に入るときが訪れます。人生に「ゴーアラウンド(着陸のやり直し)」はありません。

 「死んだら、どうなるのか?」この宿題への答えを、お寺で一緒に確かめ合いませんか?