法話集

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読む法話「またがんそ」 (芦北町 芦北組 覺應寺 葦原顕信)

2025/02/01 09:00
 日本語の方言を区分する論「方言区画論」によると日本語の方言は16種類あるそうです。ただ、土地ごとに古くから伝わる言いまわしまで考えると、数え切れない種類に枝分かれするのではないでしょうか。実際、隣町であっても伝わらない言葉もあったりします。今回お話するのは私が出あった方言のお話です。
 以前宮崎県都城市のお寺の法務員をしていたときのことです。初めて住む土地。道がわからないのはもちろん、話しかけられる言葉も最初の頃は全然理解できず戸惑ったものでした。都城市を含む地域で使われる言葉は「諸県弁(もろかたべん)」と呼ばれ、とても特殊な表現が多くあります。この諸県弁がフランス語に聞こえることを利用したPR動画を小林市が作っているくらいです。ですから世間話一つ理解できない私に、その都度ご門徒さんが様々な言葉を教えてくださいました。
 その中で特に印象深いのが、「めあげんそ」と「またがんそ」という言葉です。「めあげんそ」は人の家を訪ねるときに言います。「めあげんそ」とは「みあげもそ」とも言い、「お土産持ってきましたよ」を短くした言葉だそうです。そして今度は帰る時、別れるときに言うのが「またがんそ」です。「また会いましょう」という意味だそうです。
 この言葉を教えてもらったとき、良い言葉だなぁと思いました。では、なぜ「さよなら」ではなく、「また会いましょう」と言うのでしょう?これでお別れだと思っているなら出てこない言葉です。
 ということは、たとえ今別れることになっても、また会う場所がある、また会う時間がある、そしてまた会いたいと願っている。だからこそ「またがんそ」という表現がうまれたのではないでしょうか。

 『仏説阿弥陀経』というお経さまに、

   舎利弗(しゃりほつ)、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑは
   いかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。
   (現代語訳)
   舎利弗よ、 このようなありさまを聞いたなら、 ぜひともその国に生れたいと願うがよい。そのわ
   けは、 これらのすぐれた聖者たちと、 ともに同じところに集うことができるからである。

というお言葉がありますが、これはつまり、「お浄土でまた会いましょう」ということであります。

 阿弥陀様の願いに出遇うものはみな、お浄土でまた会う世界を恵まれるのです。
 そして、その阿弥陀様の願いは「南無阿弥陀仏」と我が声となってくださっているのですから、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えするところには、このいのち終えたときただ別れていくのではなく「また会いましょう」と言える世界が広がっていくのです。

 せっかく「またがんそ」と言える人生、思い出やおみのりをひとつでも多くお土産に持たせてもらいながら、一日一日を送りたいものです。