法話集・寺院向け案内
読む法話「親しき友」 (嘉島町 緑陽組 法源寺 松本浩信)
他力とは他人の力ではなく、阿弥陀さまの本願の力です。本願とは阿弥陀さまの「根本の願い」すなわち「生きとし生けるものを救わずにはおれない」という強い願いです。その働きを他力というのです。そして、阿弥陀さまの本願を深く信じて疑わない心を信心というのです。
親鸞聖人は、
「他力の信心うるひとを うやまひおおきによろこべば すなわちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ」
(『正像末和讃』)
と、ご和讃に記されました。お釈迦さまのお姿を経典より頂かれ、親鸞におきても同じ思いであることを伝えられたのです。
『仏説無量寿経』の下巻に『往覲偈(おうごんげ)』という偈文(げもん)があります。その後半に、お釈迦さまが敬い慶ばれ褒められた「親しき友」のことが書かれています。
「人のいのちはなかなか得がたいものだが、
それでも仏に遇うことはなお難しく、
信心の智慧を得ることはなおさらである。
ゆえにもし法を聞くことができたなら精進してさらに求めるがよい。
教えを聞き心にとどめてそれを忘れず、
仏を敬い信じて慶ぶものは、すなわちわが善き親友なり。」
得がたくして得たいのちは、明日をも知れぬ儚いご縁です。そのいのちは、多くのお陰さまに生かされています。そのひとつが食事です。私ひとつのいのちを支えるために、多くのいのちを毎日頂いているのです。
娘が中学生のとき、保護者会の手伝いをしていました。その時、教頭先生から
「ちゃんと給食費を払っていますから、うちの子には、給食の時、いただきますと言わせないでください」
と電話を掛けてきた保護者のことを伺いました。思わず笑ってしまったのですが、「いただきます」の大切な意味が伝わらない時代になったのかと、悲しい気持ちになりました。
そんな私たちに、ご縁を頂きみ教えに遇うことが出来たならば、
「精進してさらに求めるがよい。」
と勧めてくださいます。精進とは『聴聞の心得』に
一、この度のこのご縁は 初事と思うべし
一、この度のこのご縁は 我一人の為と思うべし
一、この度のこのご縁は 今生最後と思うべし
と示してあるように、いつ終わるとも知れないいのちのご縁を今日も頂き、み教えと出遇うことができたことを有難く勤めることです。
私たちは、見たり聞いたりしたことを、知識として覚えようとします。しかし、いつの間にか忘れてしまうことが殆どです。特に最近人の名前を思い出せないことがよくあります。「聴聞とは吸収すること」と言う言葉を聞いたことがあります。まさに阿弥陀さまのみ教えは、覚えることではなく我がいのちに向けられた阿弥陀さまの心願いそのままを受け取ることが大切なのです。
「教えを聞き心にとどめてそれを忘れず、仏を敬い信じて慶ぶもの」
親鸞聖人は、その姿を「他力の信心うるひと」と受け取られ、お釈迦さまが
「すなわちわが善き親友なり」
と慶ばれたことを、同じ思いであるとご和讃にて記されたのです。