法話集
読む法話 「待ってるからね」 (八代市 崇光寺 萼弘誓)
このご文は、親鸞聖人が関東から京都に帰られて往生されるまで、関東各地のご門弟に宛てられたお手紙(御消息)の中にあるお言葉です。現代語に訳しますと「わたしは今はもうすっかり年老いてしまい、きっとあなたより先に往生するでしょうから、浄土で必ずあなたをお待ちしております。」という内容のお言葉です。このお手紙を受け取られた方にとって、待っていて下さる方がいらっしゃるということが、その後の人生のとても大きな励みになられたことと思います。 昨年より続くコロナ禍の今、心の病をお持ちの方の数が以前に比べて大変多くなっているそうです。先日テレビの放送で、インタビューに答える女性の方がいらっしゃいました。その方は 30 代で、忙しく仕事をされていましたが、ある日突然身体の調子が悪くなり、眠れなくなり、病院に行きますと心の病気と診断されたそうです。すぐに職場に相談し長期休暇をもらい、治療に専念する 日々を過ごされました。現在はもうすっかり身体の調子も良くなり、仕事に復帰されていますが、 療養中、職場の同僚の方たちから「待ってるからね、ゆっくり治してね」と言われた言葉が大変嬉しかったと話されていました。「待ってるからね」の一言から少し前向きな気持ちになり、「私が帰る場所はここだー!」と調子が良くなるきっかけとなられたそうです。もし、同僚の方達から「待ってるからね」の言葉がなかったら、職場はただの「行き先」でしかなく、行くのがつらいままだったのかもしれません。待っていて下さる方がいらっしゃることで、職場が「帰れる場所」となり、ご自身にとっての励みになられたのでしょう。
私たちのこのいのちは、死んで終わりのいのちではなく、阿弥陀如来のお浄土に生まれていく「いのち」であるとお聞かせいただいています。今すでにお浄土に参られ、仏となられている先人の方々が待っていてくださっている世界がご用意されています。ただの「行き先」としてのお浄土ではなく、「帰れる場所」としてのお浄土。待っていて下さる世界を約束された人生は、それ以前の人生と全く別物になります。あとに残されるご門弟の方を想い、「必ず待っていますからね」と伝えてくださった親鸞聖人のお言葉は、現代に生きる私にとっても励みとなり、心強く響いて下さっています。
「お浄土で待ってるからね」きっとその言葉を受け取られた方のその後の人生は、悲しいだけでは終わらせない、寂しいだけでは終わらせない、阿弥陀さまのお慈悲の中に生き抜いていく人生が開かれていくことでしょう。
読む法話 「目印」 (八代市 大法寺 大松龍昭)
そう気づいたときに、まさに私たちの人生もその通りだろうと思いました。歳を重ねて いきますと、私たちは今の自分は己の努力と苦労によって築き上げてきたんだと思ってい るところがあると思います。それも嘘ではありません。しかし私たちは人生の局面局面で、 目印となる存在に幾度も出会い、それに導かれ導かれして今日の自分がある、それが事実 ではないでしょうか。その存在とは、もしかすると亡くなったあの方かもしれません。ま だ隣にいてくれているその方しれません。またそれは身内とは限りません。そしてそれは 1 人でもないはずです。その存在に気づくということは、私の命をより豊かなものに変えな していくことでしょう。
そしていま、私たちはお聴聞の現場にいるわけです。しかしそれもきっと私のしでかし た事ではなくて、何某かの目印や道標に導かれて、いまこのように仏縁に恵まれているの ではないでしょうか。ぜひ合わせてそのことも味わっておきたいと思うことであります。
布教団第一支部 紙面布教大会②
熊本教区布教団第一支部では毎年1月31日と5月31日に本願寺熊本別院にて布教大会を開催していますが、新型コロナのために2020年1月を最後に布教大会が開催できていない状態です。そこでこのたび若手布教使の研鑽もかねて文章による布教大会を行うことといたしました。
若手布教使を中心に複数名が法話原稿を提出し、のべ10時間以上にわたるオンライン検討会を経て、8月にまずは3名の法話を掲載させたいただきましたが、今回11月は2名の法話を掲載させていただきます。
今回の2名の法話は、文書にしたものを11月上旬に教区報等とともに教区内寺院へ郵送させていただいております。
「願いに照らされる<わたし>」
浄行寺 盛 智照
『無量寿経』のなかで阿弥陀仏は、すべての生きとし生けるものの悩み・苦しみが取り除かれない限り決して覚りへは至らないと誓われています。そして、同じ『無量寿経』で阿弥陀仏はすでに覚られているということが説かれています。ということは、阿弥陀仏の願いは理屈の上では成就されたことになっています。
ここで理屈の上でと申し上げたのは、阿弥陀仏の願いは私たち人間の営みによってのみ具体化されるからです。阿弥陀仏の願いは、常に自分以外の他者に寄り添おうとする利他の願いです。対してこの私が願ってしまうのは自分にとっての幸せばかりです。しかしそのような自分の殻に閉じこもったままでは、阿弥陀仏の大悲の願いに参入することはできません。と、理屈をこねてみましたが、やはりその願いに背を向けた生き方を選んでしまうのが私なのだと、そう思わされた出来事がありました。
私は数年前から福岡県の宗門校で非常勤講師をさせて頂いております。講義や課外活動を通して若い学生たちと正面から向き合い、対話できる時間は私にとってかけがえのない時間でした。そのような環境がコロナの流行で一変します。すべての講義が遠隔授業となったのです。福岡に行かずに済むのでかえって楽なのでは、という淡い期待はたちまちのうちに吹っ飛び、毎日が授業準備とメール対応に追われ、最初の一ヶ月間は心休まる時間がありませんでした。気づけば講義の時間が何よりも苦痛な時間となっていました。一方、学校業務が「ステイホーム」になったおかげで家族との時間が増え、子どもたちと過ごす時間が何よりの癒しとなってくれていました。
そんな中、学生の1人が突然講義に顔を出さなくなりました。何度かメールを送ってみましたが返信はありません。毎回必ず出席してくれていた学生だったので気にはなりましたが、私はそこまで事態を深刻には捉えていませんでした。「遠隔授業に飽きたんだろう」くらいに考え、「期末レポートさえ出してくれれば大丈夫かな」と楽観的でした。そしてそう捉えるにいたった最大の原因は、遠隔授業を最小限の労力で乗り切り、なるべくプライベートな時間を確保したいと強く思うようになっていた私のエゴによるものでした。
後に、学生の欠席の原因が精神的な病によるものだったことを同僚の先生から教えていただきました。今になって思えば、同じクラスの仲の良い学生に尋ねたり、所属する学科の先生や学校に相談するなど、いくらでも対応策はありました。いいえ“今になって思えば”なんて真っ赤なうそです。本当はとっくに気づいていました。でもその頃の自分の殻の中だけでの幸せを求める生き方をやめられませんでした。
後日その学生と一度だけ直接話す機会がありましたが、「ごめんなさい」の一言は言いませんでした。その一言で終わらせた気になるのはこれまた私のエゴでしょう。この学生のためにも、この出来事を糧とし、誰ひとり取り残さない授業運営を心がけていきたいと思います。
親鸞聖人はこの現実において念仏者が得る利益の一つに「常行大悲」を挙げておられます。これは念仏に出遇った者が「常に大悲を行ずる」存在にならせていただくという意味です。換言すれば、“阿弥陀仏の願いを生きる”人生を歩ませていただく、ということになります。
ただし、われわれは凡夫です。凡夫とは、だれかのために行動したくてもできないから凡夫なのではなく、わたしの生き方がだれかを傷つけたり、粗末に扱っていたとしても、そのことに気づくことさえできないがために凡夫なのです。そのような私たちが“阿弥陀仏の願いを生きる”ということは、常に真実に照らして <わたし>を省みる視座をいただくということです。
わたしの愚かさ、あさましさをすべて見抜いた上で、それでもなお阿弥陀仏からわたしに向けられた願いがあることを有難く思います。自己中心的にしか生きられないわたしが、阿弥陀仏の願いに出遇わせていただくことで、不完全ながらもその願いに報いる生き方がはじまります。そのような願いに出遇えたことに歓喜し、だからこそ願いに背く形でしかその願いに出遇えないことに慚愧し、これからもともに念仏の大道を歩ませていただきましょう。
「光を聞く」
長寶寺 藤川 顕彰
昨今のコロナ禍で人との関りが少なくなり、改めて教えられたことがあります。心の奥底から感情をさらけ出し、自分自身や自分と関わってくださるものを知ることのできる場所が我々には必要ではないかということです。
昨年4月末、ある20代の方から相談を受けました。その内容は以下の通りです。
「最近尊敬する先輩が突然亡くなりました。私にとって人生の指針となるほどの先輩でした。身近な人が亡くなった経験がはじめてで、とても辛いです。他の親しい人達もいつかは亡くなるのかと思うと、その前に自分が先に死んでしまったほうがましとさえ思います。死への恐怖で夜電気を消して眠ることもできません。」
青年は、自粛生活の中一人で考える時間が多く、苦しみがあふれ出て、誰に言いようもなく私にお話しされたとのことでした。
この相談内容は、多くの方々が同じような経験をし、感じておられる苦悩だと思います。そして「仕方がない」「忘れよう」等の心の蓋をして、何とか気持ちを保とうとしておられる方も多いのではないでしょうか。私も同じような思いをもったことがあります。しかし、私には亡くなられた悲しみだけではなく南無阿弥陀仏の「教え」にあえて良かったと力いただくご縁がありますのでそのことをお話しさせていただきました。
その「教え」の内容を具体的にいうと、まずは死んで終わらない「いのち」ということです。この青年の上で言えば、亡くなられた先輩は、これまで青年の大きな支えであったと思います。では亡くなられた後は無意味な存在かといえばそうでないということです。肉体は朽ち果ててもいのちの触れ合いは終わらないということです。
次がその終わらない「いのち」の正体です。教えでは、亡くなったすべてのいのちを「仏さま」になられたとみます。仏さまとは如何なる存在かは、色々な見方がありますが、「導師」(導き手)という意味がわたしにとって一番の救いになっています。青年にとって先輩のいのちは青年を手を合わせる身へと導く存在になられたのです。さらに言うなら、教えの上ではすべてのいのちが仏さまになるとみるのですから、私も仏さまになれるのです。尊敬する先輩と、仏さま(導き手)という同じ立ち位置に立てるというのは、亡くなられた悲しみは変わらないですが、ちょっと嬉しいのではないでしょうか。以上のようなことを青年と一緒に確認させていただきました。
先日その青年に今回この内容を紹介していいか尋ねました。その時、
「いいですよ。おかげさまで前向きになれて、当時私が何を話したかさえ忘れてしまいましたけど、私の経験がお役に立てるのならうれしいです。」
と、微笑みながらおっしゃいました。仏さまとなられた先輩を近くに感じながら力強く日常を送っておられるようです。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の御言葉の中に、「聞光力」(光を聞く力)という言葉があります。本来「光」は、照らし・照らされるものであって、聞くものではありません。では、どういった意味でこの「聞光」をうけとらせていただけばよいかというと、ここで大切なのは光とは何かということです。光とは「教え」であります。つまり、「聞光力」とは「教えがきこえてくるところの力」ということで、換言すれば教えは、わたしの、今回で言えば青年の闇を照らす光であり力となるということです。
お寺にお参りすると、阿弥陀さまを仰ぎよろこんでいらっしゃる方を目にします。もちろん仰ぐことは尊いことです。ただ、忘れてはならないのは、その仰がせていただいている阿弥陀さまには目的があるということです。「あなたも苦しいね」という単なる哀れみだけではなく、必ずすべてのいのち(私)を仏にするという目的をもっておられます。お寺で「教えを聞く」ということは、人生を歩むうえで常に阿弥陀さまが私の力になると聞こえてくるのです。そういった意味で、教えを人生の闇を照らす「光」と親鸞聖人は仰いでいかれたのであります。
「浄土真宗は聴聞に尽きる」という言葉の通り、念仏者にとって、阿弥陀さまのみ教えを聞くことは日常の要であり、これまでお寺の本堂や家庭のお仏壇の前でお聴聞のご縁が営まれてきました。しかし現在、インターネットの出現に昨今のコロナ禍が拍車をかけて、場所を問わずに画面上でお聴聞できるご縁が増えています。このことはより多くの機会で教えに触れることが出来る反面、場所としてのお寺やお仏壇の意義、お聴聞の意義が問われているように感じます。私にとって青年とのご縁は、青年のように自分をさらけだし見つめることのできる場所がご自宅の御仏壇の前であり、お寺であることを改めて考えさせられた出来事でした。
読む法話 「百重千重のお育て」 (上天草市 観乗寺 森島淳英)
百重千重(ひゃくじゅうせんじゅう)圍繞(いにょう)して よろこびまもりたもうなり
この御和讃は私が大好きな親鸞様の詩の一つで、南無阿弥陀仏と称えればありとあらゆる仏様が私一人を百の輪、千の輪で取り囲んでお護りくださるという詩なのですが、親鸞様は私たちがお念仏を申すようになるのは、阿弥陀様の願いが他の仏様も揺り動かし、その諸仏の「南無阿弥陀仏」と称えるお念仏が今私のお念仏になっていると教えてくださいました。そう考えると私はお念仏申す前から「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と私の目には見えませんが沢山の仏様がたより百重千重と取り囲まれて、願われて生きてきたという事を味わうことができます。それがなんとも有り難いのです。
以前長崎にご縁を頂き法座の後で、お茶を頂きながら若坊守さんよりこんな話を聞かせていただきました。「先生、私は日頃境内の保育園に勤めていますが、毎日かわいい光景を見ることができるんですよ」と話をしてくださいました。聞いてみると、3歳の女の子が曾じいちゃんに手を引かれて登園をしてくるそうです。その子が毎日本堂の前で手を合わせて「なまんだぶ、なまんだぶ」と小さな手を合わせてお参りをしているのです。不思議に思った若坊守さん、女の子に「お利口さんね、なんでお参りしているの」と聞いてみたそうです。すると3歳の女の子「先生、ばーちゃんが亡くなった、それで園長先生に聞いてみた」というのです。「園長先生(ご住職)になにを聞いたの」と聞き返すと「ばーちゃんは亡くなって何処に行ったの?と聞いたの」と言ったそうです。「園長先生なんて言った?」と聞くと、「園長先生は阿弥陀様の方を指さしてね、ばーちゃんはね、お浄土に行ったんじゃ、仏様になって嬢ちゃんをいつも見ているんだよと言ったよ、だから私はおばーちゃんにお参りする気持ちでお参りしているの」と答えたそうです。
この子は生まれて三年。生まれながらに手を合わせて生まれてきた子供がいると聞いたことは一度もありません。この子供が手を合わせお念仏するまで沢山の育てがあることが目に浮かぶのです。
この話に登場するのは、手を引いて登園をする曾じいちゃん、保育園でやさしく見守ってくださる若坊守さんと園長先生。そして今は目には見えませんが亡くなったおばーちゃん、それ以外にもその子の父母や沢山の百重千重といわれるほどの人に願われ、育てられ合わす両手を持たせてもらったのでしょう。
昔、和上様(わじょうさま:浄土真宗の学問を究めた僧に対する尊称)が「駿河の富士山と加賀の立山と一つの処へ寄せることができるとも、悪人凡夫が両手合わせて念仏することは難い。しかしその徒ら者が手を合わせて念仏するようになったのは地上に二つとない有りがたいことだ」といわれたとありますが、今手を合わせ、お念仏申しているわが身のすがたを思うとき、沢山の方々のお育て、阿弥陀様のありありとしたお影を感じずにはおれれません。まさに百重千重の願いの中の私でありました。
読む法話 「輝く人生」 (宇土市 宝林寺 經智敬)
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲(けんてつ)・愚夫(ぐぶ)もえらばれず
豪貴(ごうき)・鄙餞(ひせん)もへだてなし
(意)源空聖人は、その身から光明を放って、その姿を日頃から門弟たちにお見せになり、賢いものも愚かなものも
区別することなく、貧富や身分の違いによって分け隔てされることはなかった。
親鸞さまが法然さま(源空聖人)のお姿を褒め称えられましたご和讚でございます。
「源空光明はなたしめ」とあるように、法然さまはまるで光輝くようでありました。
苦悩に沈んでおられた親鸞さまには真実の光りであり、本当のよりどころであったのでしょう。また今まで目にしてきた比叡山の様子とは違い、親鸞さまにはとても衝撃的だったのでしょう。
さて、私たちが人生を歩むなかには、うれしいこと悲しいことといろんなことがございます。そのよろこびや悲しみを隠して生きていくことは難しいような気がしますし、またそれをなかなか隠せないのが人間なのだと思います。
私たちは人生を歩む中でいろいろな問題を抱えます。右に進むか左に進むかどちらかの決断をくだすとき、進んだ場所に満足できれば問題はないのですが、残念ながらどちらに進んでも私たちは選んだ場所でまた愚痴をこぼしてしまうのではないでしょうか。
親鸞さまは「それ真実の経をあらわさばすなわち大無量寿経これなり」と仰せられました。お経の「経」という字は「たていと」と読みます。織物を織るときに基本となるものが縦糸です。その縦糸に横糸を通し織物が仕上げられていきます。その場合、縦糸がきちん通っていないと織物が仕上っていきません。「たていと」即ち「経」とは絶対に揺らぐことがないもの、ものごとの筋道が通ることなのです。
お経、阿弥陀さまのみ教えを聞くことにより、どんな場所に身を置いても置いた場所できちんと筋道が通っていくよろこびの人生を歩めるのです。
法然さまは阿弥陀さまのみ教えをいただかれ、揺らぐことのない本当のよろこびにであっていらっしゃったのでしょう。そのよろこびが光りあふれるお姿であったのでしょう。
阿弥陀さまのみ教えを聞き、どんな境遇に身を置いても必ず筋道の通る人生を歩むことにより、この私も輝いていくのです。
読む法話 「聖(ひじり)の人」 (天草市 専念寺 山川正憲)
私は今年二月にお説教の為、お寺を一週間留守にしました。すると、私が住んでいる地域では、「ご院家(いんげ:住職のこと)がコロナに感染して入院している」といううわさが広まってしまいました。火消しに奔走する最中、何でこういう事態になっているのか複数人の御門徒さんに質問していくと、皆一様に返ってくる答えが「みんながそう言っているから」という驚くべきものでした。平常時なら、疑ったり、事の真偽を確かめたりするのでしょうが、非常事態下では、不安が先立って皆が冷静さを欠いています。何の根拠もない単なるデマが「みんながそう言うから」という理由で事実にすり変わっていくことに私は恐ろしさを感じました。
このような、他人を惑わしたり傷つけたりする行動を引き起こすのは不安や恐怖です。実はこの不安の根源は自身が抱えている自分本位な心、つまり煩悩にあります。
親鸞聖人は『歎異抄(たんにしょう:親鸞聖人の語録)』の第九条で「いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころ ぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり」と述べられています。つまり少しでも病気にかかると死ぬのではないかと心細く不安に思われるのも煩悩の仕業だと冷静に受け止められております。
このように冷静に受け止められたのは、親鸞聖人がお念仏のみ教えに出遇われていたからでしょう。自分を取り巻く環境の変化によって生じる不安の根源が、自身の抱えている煩悩にあるとお念仏を通して知らされていたからこそ、厳しい現実を冷静に受け止める ことができたのです。
親鸞聖人の「聖」の字は「耳を呈する」という意味があり、また「ひじり」という呼称は「非知り」と字を当てることがあります。すなわち、親鸞聖人は自らを「愚禿(ぐとく)」と名のり、生涯教える人としてではなく、ただ共々に導かれ救われるものとしての喜びを語り続けられたのであります。弥陀の本願に照らされて、聞かねばならないのは他ならぬこの私、教えられなければならないのはこの私と、お念仏申す中で徹底して我が身と向き合い耳を傾けてゆかれたのが親鸞聖人でありました。
この度、コロナ禍で致し方ないとはいえ、散々デマに振り回されて大変な憂き目にあいました。正直腹立たしくもありましたが、冷静に考えてみると私自身も須(すべか)らく煩悩に苦しんでいる存在であり、縁によっては加害者たりうるのです。私もまた自分本位な思いに翻弄されていたことに気づかされたとき、有り難いことに、地域の方々の流言飛語に対する怒り・腹立ちが徐々に和らいでいきました。
親鸞聖人のように、如来の大悲を聞かせていただく歩みとは、どこまでも我が都合・我が心にとらわれながら苦悩を抱え生きていかなければならない、偽らざる私の姿と否応なく向き合っていくということです。そして、自己本位の心にとらわれ、はからずもやること為すことすべてが苦悩の種まきとなっている私に大悲の涙は注がれているのです。
この大悲の涙は今苦悩の真っ只中に生きる私にお念仏となって「そのまま救う。 必ず救う。」とはたらきづめにはたらいてくださっております。
一声一声のお念仏の裡(うち)に、果てしなく広く深いお慈悲のぬくもりを感じずにはおれません。
お念仏を通して我が身と向き合いながら、煩悩に翻弄されることない人生を大悲のぬくもりと共に歩んでまいりましょう。