法話集・寺院向け案内
読む法話「まなざしの中で」 (西原村 益北組 慈雲寺 工藤恭修)
TBSアナウンサーの安住紳一郎さんがレギュラーで持たれている『日曜天国』というラジオ番組の中で、一つお題をあげてそのお題に視聴者の方々がそれぞれの思い出など投稿するというものがあります。たまたま聞いた時のお題は「捨てられないもの」57歳の男性の投稿でした。
「母が亡くなって7年、父が亡くなって1年半が過ぎ、ようやく私は実家の整理をしようと重い腰を上げました。やり出してみると性格なのか息子だからか、そこまで両親の持ち物に興味や愛着はなく写真など一部を除いて意外とスムーズに断捨離ができました。
そんな中、母の部屋の洋服タンスの上にポツンと置いてある一つの箱を見つけました。箱を開けてみると中には私の小学校1年生から高校3年生までの通信簿と中高で所属していた野球部のユニホームが入っていたのです。
通信簿なんて妻や子供たちに自慢できるような成績でもなく、そして今より15キロも痩せていた時のユニホームは現在着られるはずもなくすぐに捨てようと決めたのですが、箱の中に一通の便箋を見つけました。
その便箋には母の字で「こうさん、よく頑張りました。私の宝物です。」と書かれていたのです。勉強もできず、野球もレギュラーではなく、本当に出来の悪い息子だったのに。忘れた頃の母の自分への愛情というものはまたグッと来るものですね。そんなことを言われた日にはさすがの私も捨てるに捨てられず私の部屋の押し入れで現在幅を利かせることになりました。姿なき親の愛情を感じています。
この男性、自分の事を出来の悪い息子だとずっと引け目を感じていました。立派な息子に、立派な夫に、立派な父親にならなければならない。だけれども、そうはなれない自分がいた。その思いを抱える中にお母様の「よく頑張りました。私の宝物です。」の言葉にであい、救われたのではないでしょうか。
捨てたいと思っていた過去が「捨てられないもの」に変えられたのです。自分の全てを見てくれていた、受け入れてくれていた母親のまなざしに、母の願いに。
阿弥陀仏という仏さまは私に「立派な人間になれ。何かを成してこい」とはおっしゃいませんでした。「あなたらしく生きなさい。あなたがどんな生き方をしていようとも、どんな心持ちでいようとも私が一緒にいるから大丈夫。」とそのまなざしで常に私を照らし続けて下さる仏さまです。
辛い時も苦しい時もあるのがこの人生です。その中で時に「私なんて」と自分自身を虐げる事もあるでしょう。ですが、その私を決して見捨てる事などありません。
阿弥陀仏のまなざしの中に生きるとは、過去・現在・未来とこの私を見抜いた上で、このいのち尽きる時「よく頑張りましたね。」と褒めていただける人生を歩んでいるということ。その人生を「南無阿弥陀仏」というのです。
10/23 全寺院向けご案内
・【別院】本願寺熊本別院報恩講修行について
・【教区】「第12回熊本教区差別法名問題現地学習会」開催のご案内
・【教区】熊本教区差別法名問題に関するアンケート依頼について(再送分)
・【仏婦】秋の一日研修会開催について(ご案内)
10/16 全寺院向けご案内
・【別院】法語カレンダー等取次のご案内
・【少年】熊本教区少年連盟指導者研修会のご案内
・【少年】第5ブロック(九州地区)少年連盟指導者研修会のご案内
・【仏青】仏教青年連盟ぶっとも!スポーツ大会のご案内
読む法話「ほんとうのこと」 (氷川町 種山組 西福寺 三原哲信)
以前、ある住職さんから「未来の住職塾」への参加を勧められました。この「未来の住職塾」は、さまざまな宗派のご住職や住職候補者が参加し、お寺の持つ潜在的な価値や、社会の変容を捉え僧侶の本来的な役割を探るカリキュラムです。私が参加した熊本クラスは、西本願寺熊本別院で開催されました。
主に九州全域からさまざまな宗派の若手僧侶や坊守さまが参加されました。お昼から夕方まで塾長の講義やワークで学びを深めますが、せっかく九州中から集まっていたので、閉講後は皆で毎回食事に出かけます。その懇親会の場では、ある暗黙の了解のようなものがありました。それは、自身の宗派の教えについては話をしすぎないように…というものでした。なぜならば、自分の宗派の教えについて熱く語るうちに、最終的にはせっかくの雰囲気を損なうことがあったからだそうです。しかし私たちの熊本クラスは、講義外でも独自に参加者のお寺を訪ねるくらい仲が良かったので、かなり踏み込んで、それぞれの宗派の教えについてお話を聞く機会がありました。
その場でのことです。何かのきっかけで祈祷(きとう)の話になりました。伝統仏教教団とはいえ、古い宗派から江戸時代に成立した新しい教団までありましたが、どの宗派にも一様に「願いごとが叶う」という教えと、それにまつわる祈祷法のようなものがありました。その話の脈絡の中で真宗の祈祷について聞かれましたが、私は真宗には祈祷がないのだと答えました。なぜ祈祷がないのかと問われたので、私の願いを叶えても私は本当の意味において幸せにはならない。なので真宗は、阿弥陀さまの御本願という願いの中に色あせない豊かさや幸せに出あわせて頂く教えだから祈祷がないのです、というようなことをお答えしました。しかし、どの宗派の方もピンとこられませんでした。むしろ「どうして仏教なのに、願いが叶わないのですか」「祈祷がない宗派があるって知りませんでした」と、不思議がっておられます。その時ふと思ったことは、よくも願いごとが叶わない浄土真宗のお寺がなくならなかったものだなということでした。遠い昔、願い事も叶わない教えやお寺なら必要ないと、淘汰されてもおかしくなかったかもしれません。しかし浄土真宗は日本で最も大きな宗派になりました。そして大きさだけではなく、真宗寺院は今も聞法の道場としてたくさんの人に色あせない豊かさをもたらし、私たちのお寺には生と死を超える営みがあります。
ならば先人は何を大切に思い、私たちのお寺を残してきたのでしょう。いろいろなことが考えられますが、親鸞さまによってあきらかにされたお念仏の教えは、自己中心的な願いごとが叶うどころではなく、私の生と死の意味が仏智によって変えられます。このことに出あった方々が、「これこそが大切だ」「このことひとつを、あの人に」と残してくださったのだと思います。私たちのお寺はきっと今日まで『ほんとうのこと』をつむいできたのです。この教えや受け継がれてきた私たちのお寺を、次の世代に伝え残してゆきたいと考えています。
9/24全寺院向けご案内
・【教区】『連研のための研究会』開催について(ご案内)
・【寺婦】寺族婦人一日研修会開催について(ご案内)
・【ビハーラ】ビハーラ第5連区研修会開催について(ご案内)
・【同宗連】部落解放第37回熊本県研究集会参加者募集について(ご案内)
・【九州国立博物館】特別展「法然と極楽浄土」開催案内
