法話集

法話集

読む法話「光に照らされ」 (錦町 球磨組 報恩寺 岡田浄教)

2023/12/16 09:00
  電車の窓の外は、光にみち、喜びにみち、いきいきといきづいている。
  この世ともうお別れかと思うと、
  見なれた景色が、急に新鮮に見えてきた。
  この世が、人間も自然も、幸福にみちみちている。
  だのに私は死なねばならぬ、だのにこの世は実に幸せそうだ。
  それが私の心を悲しませないで、
  かえって私の悲しみを慰めてくれる。
  私の胸に感動があふれ、胸がつまって涙が出そうになる。

 この詩は小説家、詩人として著名な高見順さん(1907~1965)が癌になり、まもなく死ぬであろうことを自覚していた時に書いた詩「電車の窓の外は」の一部です。

 高見順さんが「死」の問題に直面したとき世界は光り輝き、死にゆく自分に対してどこまでも優しく受け取られたのでしょう。高見順さんがどのような信仰を持ち、どのような人生を送ってこられたのかは分かりませんが、今まで何気なく見えていた普段の景色がそのように見えたのは、とてつもない驚きだったと思います。高見順さんがこの詩を驚きのなかに書かれたことは想像できますが、この詩を読んで私の景色の見え方が変ったかとかといえば、そういうことはありません。中々そのように見えない、思えない私が心に見えただけです。この詩を読むたび、いつのまにか生きていることが当たり前になり、世界が素晴らしいと思えなくなっている自分が見えるだけです。

 しかし私たちが普段聴聞させていただいている阿弥陀さまのお心は私の見え方が劇的に変化することを期待しておられるのでしょうか。

 むさぼり・いかり・おろかさという煩悩に骨の髄までどっぷり浸かり、どこまでも自分中心にしか周りを見ていないこの私、世界が光に満ち、どこまでも優しく見えなくても、そのような私であるがために阿弥陀如来は御本願をたて、常に私を照らし、何があろうと決して見捨てないとはたらいてくださいます。

 阿弥陀さまの光に照らされて見えてくる私の姿はどこまでいっても煩悩まみれでありますが、その私を決して見捨てないとはたらいてくださる「南無阿弥陀仏」とともに娑婆、思い通りにならないこの世界を生き抜いていくだけなのです。

読む法話「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」 (上天草市 天草上組 観乗寺 藤田慶英)

2023/11/01 09:00

 こんにちは。天草の藤田と申します。この度は、阿弥陀如来様の大悲、広大なお慈悲を皆様方と味わいたいと思います。
 「大悲」とは「大慈悲心」の略でありまして、簡単に申しますと「慈」とは「あなたの幸せがこの阿弥陀の幸せ」という他の幸せを純粋に願う心です。「悲」とは、「あなたの痛み・苦しみがこの阿弥陀の痛み・苦しみ」というお心であります。この大悲のお心を今日はテーマにしたいと思います。
 私は森進一さんの名曲、「おふくろさん」が大好きです。この歌詞の中で「雨が降る日は傘になり おまえもいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた」という歌詞があります。この短い歌詞の中に息子と母親の半生が描かれているように感じます。息子が小さい頃、息子が辛いとき、ずっと息子を守り続けた母の姿。そして一人前の男になって社会の一員となり、家族を支え世の中を支える男になってほしいという母の願いが込められています。
 1971年、森進一さんはこの「おふくろさん」で、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞します。この授賞式で森進一さんはおそらく人生で一番激しく「おふくろさん」を歌ったのではないでしょうか。目に涙を浮かべて森進一さんは「おふくろさん」を歌いました。おそらく自らの人生に重ねて歌っていたのではないでしょうか。決して順風満帆とはいえない演歌歌手人生、ずっと森進一さんのお袋さんが支えてくれた。「ありがとう、おふくろ」そういう思いで歌ったから、あれだけ激しい歌唱になったのではないかと推測するのです。

 テレビの前か観客席かで本当の森進一さんのお袋さんがこの歌を聴いてどう感じていたでしょうか?最愛の息子が日本で一番歌が上手だという賞を取ったのです。本人同様に涙を流して喜んでいたのではないでしょうか。

 あなたの幸せは私の幸せ、この娑婆世界で阿弥陀様のお慈悲のお心をおたとえするものがあるとしたら、私はこの親心しか思いつきません。人間は子どもに対してだけですが、阿弥陀様の大悲は生きとし生ける命すべてに届き、「この阿弥陀に任せなさいよ、必ず助けますよ」と私たちに常に届いているのです。そのおよび声が南無阿弥陀仏の6文字なのです。

読む法話「真実の拠り所」  (玉名市 高瀬組 安楽寺 入江祥裕)

2023/10/01 09:00
 ある大学の教授が草原を歩いていました。時間を確認しようと腕時計を見ると、電池が切れ時計は止まっていました。しかしどうしても時間を確認したい教授は、辺りを見回します。するとヤギを見張っている青年が休憩していました。教授はその青年に近寄り、
「君、今何時かね?」
と尋ねました。すると青年は隣にいたヤギのお腹を持ち上げて、
「〇時〇分ですよ」
と答えました。
「適当に答えおって」
と思った教授は翌日、動く時計を持って青年に時間を尋ねました。青年はまた隣にいたヤギのお腹を持ち上げて、
「〇時〇分です」
と答えました。 そこで教授は動く時計を見て確認すると、時間はぴったり合っていました。「ヤギのお腹を持ち上げて時間が分かる?一体どういうことだ」
と思った教授はすぐに大学で研究を始めました。しかしどれだけ研究しても納得のできる答えは出ませんでした。お手上げ状態になった教授は、青年の元へ行き、
「君は、なぜヤギのおなかを持ち上げると時間が分かるのかね?」
と答えを聞きました。 すると青年はまた隣にいたヤギのおなかを持ち上げて、
「それはね、ヤギのおなかを持ち上げないと向こうにある時計台が見えないからなんだ」
と答えました。教授は今まで頼りにしてきた知識、すべてが何の役にも立たずお手上げ状態になりました。
 私達も今までの人生でこれがあれば幸せだ、安心だと頼りにしてきた健康や家族や友人。これがあればきっと幸せになれると身も心もすり減らしてまで追い求めてきた地位や名誉や財産。もちろんこれらは幸せの材料であるかもしれません。しかし命終えようとする時、これらが何一つとして私の心の支えになってはくれません。私の知識でこれがあるから幸せだ、安心だと追い求めていた一つ一つは命終わる時に何の支えにもなってはくれません。すべて置いていかなければいけません。
 抱えきることの出来ない苦しみを抱え、一人涙していかなければならなかった私に阿弥陀様は「もっと努力してその涙とめておいで」
とはおっしゃいませんでした。
「阿弥陀があなたを必ず浄土に生まれさせる。だからどうか任せておくれ。もう一人じゃない」 とありのままの私を抱き取ってくださいました。苦しみの涙を止めるすべも、手がかりも何一つ持ち合わせていない私に、阿弥陀様がお救いを全て整えて、今私たちのいのちに「南無阿弥陀仏」というお姿でご一緒くださっています。

読む法話「ご法事とは」 (和水町 玉関組 正元寺 寺添真顕)

2023/09/01 09:00

 コロナが流行りだした頃から、ご法事のお約束をいただく際に「今回の法事、家族しかいませんが、それでも良いですか?」とお尋ねされることがあります。

 2か月程前にも同様の事を電話で聞かれましたので、私が「なぜ、そのようなことを心配されるのですか?」と聞くと、「やっぱり少ないより多い方が良いと思うのですが、子ども達が遠方に住んでいて、コロナが心配で呼びきらんとですよ」とのお答えでした。

 私は「人数は関係ありません。ご縁に遇われる方が多い方が望ましいですが、少ないからと言って心配する必要もありません。詳しくはご法事の時にお話しします」とお伝えしました。

 法事当日にお宅に伺い、お衣に着替えてお経さまを拝読した後に少しばかり仏様のお話をさせてもらいました。

 話の冒頭に、「なぜ以前は大勢でご法事を務めていたのでしょうか?」と聞くと、すかさず一番年嵩の方が「人数が多い方があの世に行った人が喜ぶからでしょう?」と言われました。私が「それでは、少なかったら悲しまれますか?」と聞くと、同じ方が「多い方が迫力があるし、やりがいがあるがある」と答えられました。みなさん如何でしょうか?私たちは先に仏様になられた方に、何かしてあげられる力を持ち合わせているのでしょうか?実は逆なのです。先に亡くなられて仏様となられた方が、私の事を心配し、仏様のご縁に呼んでくださっているのです。

 それではなぜ、私は心配されなくてはいけないのでしょうか?それは、法律的・道徳的に問題なかったとしても、仏様から見た私の姿が、決して褒められたものではないからです。

 それどころか、仏様と真逆の存在なのが私だからです。いつまでたっても自己中心であり、思い通りにならなかったら怒るし、自分の事、周りの事を知っているようにしながら、実は知らないことばかりであると、あげればきりがありません。

 ご法事とは、先にお浄土に還られた方を縁として、私が仏様のみ教えを聴かせていただく中で、仏様と比べてどうしようもない私を、絶対に救うと立ち上がり、至りとどいてくださった仏様のご恩を歓ぶ場所でありました。

読む法話「私を決して忘れない」 (宇土市 宇土北組 宝林寺 経智敬)

2023/08/01 09:00
御門徒のみなさんにお世話になりながら三十年が経ちました。
私が三十、歳をとった分、御門徒のみなさんも同じように歳を取られ、五十代、六十代の方々も今や八十代、九十代となられました。
三十年前は同居のご家庭がほとんどでしたが、最近はご高齢のご夫婦、一人暮らしの方が大半になりました。
歳を重ねてこられると今まで普通にできておられた日常生活にも支障が増え、病気や怪我、今後の話を聞くことがずいぶん多くなりました。

さて長年、お寺にお参りいただくおばあちゃん、ご法座は欠かしたことのないしっかりした方でありましたが年々に物忘れが増え、最近では月命日も忘れられるようになり、いろいろなお約束も出来なくなりました。

毎月の月命日にお参りしますと、後ろにきちんと座られるおばあちゃん。 
このおばあちゃんの口からは必ず南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声たからかにお念仏がこぼれます。

お勤めが終わると
「今日は本当にありがとうごさいました」
とお礼をいただきました。その後、おばあちゃんがさみしい顔をしてこんなこと言われました。
「最近はいろんなことを忘れるようになりました、この先忘れものがもっとひどくなるかと思うととても心配でなりません」
とおっしゃられました。

この言葉を聞いた時、
私は、阿弥陀さまでよかったなと思いました。

『正信偈(しょうしんげ)』中に、次のようなおことばがあります。

  煩悩障眼雖不見
  (ぼんのうしょうげんすいふけん)
  大悲無倦常照我
  (だいひむけんじょうしょうが)

私が忘れても阿弥陀さまは決して私のことを忘れないとはたらいてくださっています。

私もみなさんも歳を重ね、やがては息子の顔も分からない、娘の顔も分からない日がやってきたとしても、私を決して忘れないと人生に寄り添い続けてくださる仏さまが阿弥陀さまなのです。

読む法話「心のお弁当」 (嘉島町 緑陽組 法源寺 松本浩信)

2023/07/01 09:00

 近所の小学校で、先日、運動会がありました。コロナ禍の影響が残る中、半日のプログラムとなりお弁当の時間もありません。
 運動会や遠足等の学校行事で、楽しみだったのがお弁当でした。冷めたご飯とおかずなのに、友達と一緒に楽しく食べた思い出が残っているのは、皆さまも同じかと思います。
 そしてもう一つ、お弁当には、子どもたちへの思いや願いが込められているのではないでしょうか。
 東井義雄(とういよしお:兵庫県出身の浄土真宗の僧侶であり、教育者。1912~1991)さんは、校長在任中のある年、春の遠足の時引率した五年生が、買ってきたお弁当を持ってきていたことを悲しく思い、六年生の修学旅行を前に保護者会を開き、
「忙しいのは、存じております。しかし、子どもたちには大切な修学旅行なのです。いつもより早く起きて、性根を入れてギュッと握ったおにぎりのお弁当を持たせてやってくださいね。」
「そのとき、どんな願いを込めたかを、走り書きでも良いですから、手紙に書いてお弁当に入れてくださいね。」
と、二つのお願いをされました。
 修学旅行の昼食の時、お弁当の包みを開けて手紙を見つけ、嬉しくて踊り回っていた子や、涙ぐみながら何度も読み返していた子も居たそうです。
 私たちも、阿弥陀さまから「お弁当」をいただいています。それは、お腹がいっぱいになるお弁当ではありません。心がいっぱいになる「心のお弁当」です。そのお弁当にも「南無阿弥陀仏」と、短い手紙が添えられています。
 阿弥陀さまは、悩み苦しみを抱えて生きていかなければならない私たちを、何ごとにも惑わされない、大きな安らぎへと至らしめたいと願われました。その願いを心にとどめて忘れることなく、「南無阿弥陀仏」の手紙を何度も読み返していくのです。