法話集・寺院向け案内
7/4全寺院向けご案内
なお、次回の全寺院発送までは配信テストとして、メール配信とは別に郵送にて書類をお届けいたします。
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・『第16回熊本教区少年連盟夏のつどい』開催について(ご案内)
読む法話「今日とも知らず明日とも知らず」 (氷川町 種山組 光澤寺 源明龍)
つい先日門徒さんの月命日でのことでした。
お勤め後のお茶を頂いて、くつろいでおりますと当然ご主人から声がかかりました。
「前住さん、アナタ(貴方)は、新聞ば読む時はどっかる(何処から)先ィ読みなはりますか?」
と。
「そりゃァ、まァ、えェと…、何処から読むと決めておるわけじゃありまっせんが。前日に、我が国も含めて世界で大きな事件や事故が起きましたら、一面から、次に相撲の興行中はスポーツ面、最後に社会面と番組欄でしょうかネ。」
と答えると、
「へェー、そりゃ若っか証拠ですバイ。」
「私どみャ、この歳(82歳)になっと、もう先の見えとりますけん、一面の次にゃ、『お悔やみ』欄ですバイ。のさった(あたえられた)命ば精一杯生きらした100歳を超えた人やそれに近い人、反対に未だ未だ今かると言う時にはってかした(亡くなられた)20代・30代の人、病気だったつだろうが、事故だったつだろうか、それとも自死だったろか、さぞかし縁者は愁嘆の坩堝(るつぼ)だったろうバイ、特に同年代の人の時には、胸を突かるるごたる思いがします。ほんに、人ごつじゃありまっせんなァ…。」
西行法師にこんな逸話があります。西行さんは、1118年京都に生まれ、1190年現在の大阪府南東部で亡くなられました。ここで少し、西行さんについてお話してみたいと思います。
西行さんは『新古今和歌集』等にも沢山の和歌が収録されています。23歳で出家され、僧侶になられる前は佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽上皇にも仕えた武術にも優れた北面(ほくめん)の武士であったといわれています。北面の武士とは、院御所(上皇が住む場所)の北側を警護する武士のグループのことです。文武にも長じていた彼が、若くして出家した理由には諸説有りますが、中でも刎頸(ふんけい)の友の死に無常の現実を痛感して、というのが有力のようですが、他に、こんな逸話も残されています。
未だ武士であった頃、私宅から院御所まで乗馬で伺候(しこう)途中、鳥辺山(とりべやま)という当時の火葬場の側を通る。毎日眺めて通っていたので火葬場の風景としては当たり前で、延々と立ちのぼる煙にも、特別、感傷的な気持ちは無かった。が、友を亡くしてからというもの、その煙が気にかかり出した。ある日、馬に揺られながらその煙が鼻に突いた時、ふっと上の句が口に出た。
「鳥辺山 昨日も煙 今日もまた・・・」
しかし、和歌には天賦の才有りと言われた西行さんも「下の句」が中々浮かばない。上の句を詠んだ数日後、御所へ伺候途中でのこと、今朝は風もなく幾本もの煙が、天に吸い込まれるように上がっていた。それを馬上から眺めて居た西行さん、突然馬が何に驚いたか、急にいなないた。その瞬間、夢から冷めたような西行さん、下の句が口を突いて出た。
「眺めて通る人はいつまで」。
即ち
「鳥辺山 昨日も煙 今日もたつ 眺めて通る 人はいつまで…。」
傍観している他人の死、しかし、次は私が他人から眺められていくのです。
蓮如上人(1415〜1499、本願寺八代目宗主)の御文章(お手紙)の中に
「われや先、人や先、きょうともしらずあすともしらず、朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり云々」
とご教化のように、明朝も今朝と代わらぬ陽が上ると私達は高を括っておりますが、如何なものでしょうか?
去る1月28日、埼玉県八潮市で起きた道路の陥没事故のことですが、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。直進して来たトラックが、頑丈なはずのアスファルトの地面に突然大きな穴が空き、そこに運転手と車体ごと落下するという予想だにしない事故のことです。運転しておられたのは74歳の方で、懸命の捜索にも関わらず遺体はそれから4ヵ月後、下水道管から見つかった、という事故のことです。報道に拠りますと、この運転手さんは孫家族と一緒に生活する、寡黙な仕事人間で、暇を見つけては2人のひ孫の手を引いて散歩して居られたとのこと。
この人が朝仕事に出掛けられる時、孫やひ孫さん達から、
「おじいちゃん、今交通事故がとっても多いから気をつけてね。帰りはいつもの時間?じゃァ行ってらっしゃい」
と見送られ、
「行って来ます」
とアクセルを踏んだとき、果たして
「今日が私の命日になる」
など、思われたでしょうか…。
『無量寿経』に釈尊は
「世人薄俗にして、共に不急の事を諍う(世の中の人々は、まことに浅はかなもので、急がなくて良いことを互いに争いあう)」
と仰せられるように、無常迅速の世に生きて居りながら、私の”いのち”の行くへに関しては関心は無いのか。全てのものは破壊されていく有限の命を生きながら、真実不動の道を求めていないのだろうか。絶対安住の浄土往生を願わないのであろうか。もしそうすれば、永遠不滅、悲・苦・悩・愁を超えた“いのち”が得られるであろうに。人は一体何をこの世に期待し、どういう楽しみを求めているのか。まことに悲しいことであると。
蓮如上人も、
「明日さへ分からぬ、どころか、一歩踏み出した足元さえ分からぬ、無明の人生。物事が、他との関係や比較の上に成り立つ娑婆、
『人間のはかなきことは、老少不定。はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏の願いを聞いてくれ』」
と、叫んでおられます。朝に、通りに掲げられた黒枠の死亡広告を眺めて通った私が、夕べには他人様から眺められて行くこの身であります。
どうぞお急ぎ下さい。お急ぎ下さいませ。
6/19全寺院向けご案内
なお、次回の全寺院発送までは配信テストとして、メール配信とは別に郵送にて書類をお届けいたします。
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・メール着信のご依頼について
・帰敬式実施について(ご案内)
・熊本教区教学研修「夏安居」開催のご案内
・「本派社推協熊本教区支部研修会(公開講座)」開催のご案内
・ビハーラ熊本 研修会(公開講座)開催について
・ビハーラ熊本後援 熊本いのちの電話開局40周年記念公演「24th チャリティサマーコンサート」開催について(ご案内)
【仏婦単位会寺院のみ郵送】
・『こすもす第43号』送付について
・総会資料配布について
読む法話「救われれるべき私であることを聞く」 (相良村 球磨組 聚教寺 恒松見照)
このお言葉は、阿弥陀如来が本願を起こされた理由は、只々この私のためであり、それを疑いなくいただけるご仏縁に出遇うことをお勧めくださっているものであります。
つまり、救われるべ きは私であったとお聞きかせていただくことこそ、浄土真宗のみ教えにおいてもっとも大切なところといわれているのです。
日頃この私は、毎日の生活に必死で、自分が楽になれることばかりを求め生きています。
そして、自分と異なる思考や価値観を苦手とし、縁があれば争いまで起こしてしまう人生です。
振り返りますと、今年2025年は「戦後80年」といわれます。
まさに、人と人が引き起こしてきた戦争は「お互いの違いを認められない心」と「自分さえよければいいとする心」、そして「自分の方が正しいと思う心」が生み出したものではなかったでしょうか。
かつて、本願寺第24代大谷光真ご門主が執筆された『愚の力』の中で、
阿弥陀如来が救うといわれるのは、私がこのままではいけないから救ってくださるのです。
私の側が「このままでいいのですよ」との姿勢であったならば、救いも何もいりません。
とご教示くださっています。
このようにお聞きしますと、私のことを常にご心配くださり、「このままにしてはおかない」とおはたらきくださる阿弥陀如来のあたたかいお心を無駄にしないようにしたいと思わずにはおられません。
み仏と共に生きておられた念仏者の方々を見習いたいものであります。
教区内寺院向けのメール配信を準備中です
正式運用開始は7月を予定しております。
【スケジュール】
6月2日まで 各組において希望寺院のメールアドレス取りまとめ
6月中 全寺院への郵送案内に併せてメール配信テスト
7月より 正式運用開始
※全寺院への郵送物により、スケジュールが変更となる場合があります。
予めご了承ください。
なお、本ページに配信したメールを確認することができるよう準備中です。
読む法話「変わらない仏様」 (熊本市 緑陽組 雲晴寺 甲斐陽瑞)
昨今の世界情勢に目を向けてみますと、グローバル化や多様性が重視されるようになってきているようです。ここ熊本においてもTSMCの工場が出来たのをきっかけに菊陽周辺のみならず県内全体で海外から移住してこられた方が増えてきているようです。
近所の方と話をしていると、そうした海外から来られた方が地域コミュニティに与える影響を心配している声も聞こえてきます。受け入れる側からしたらそのような不安もあるでしょう。逆に移住してこられる方もちゃんと暮らしていけるのか不安を抱えられていることと思います。私達が暮らしているこの世界は絶え間なく変化し続けています。
変化し続けることを仏教の言葉でいえば諸行無常といいます。ありとあらゆるものは絶え間なく変化し続けて一瞬も同じ時がないのです。私自身のこの肉体も絶え間なく変わり続けているし、私を取り巻く環境も同じく変化し続けているのです。変わり続けるというのは落ち着かず不安なものです。今どんなに健康で元気な人であっても明日も変わらず元気でいる保障はどこにも無いのです。
サラリーマン川柳にこんな句がありました。
「集まれば 昔恋バナ 今健康」
年齢を重ねていくと健康に関する話題が増えてきます。どんなにいつまでも健康でいたいと思っていても、何事も無く健康で生涯を過ごされる方というのはそうそうおられないんじゃないでしょうか。
ほかにも、
「定年が 伸びる期待と 増す不安」
こんな句を詠まれてる方もありました。
以前は60歳が定年で後は年金でゆったりと暮らすことが出来たようですが、今は定年を過ぎても何かしらの仕事をしていないと生活に不安がある時代になってしまいました。
私達が暮らすこの世界というのは健康であったりお金の不安であったりと変わり続けるがゆえに様々な苦しみに遭っていかねばならない世界であったんです。
そうやって変わり続ける私たちの世界とは反対に永遠に変わることが無いのが仏様の世界なんです。仏教における真理とは、世界のありのままの姿の事をいいます。
すべてのものは他のものと関わりあって存在しているという縁起。
すべてのものが常に変化するという諸行無常。
すべてのものは実体を持たないという諸法無我。
お釈迦様が悟られたこれらの真理は、お釈迦様が作り出されたものではありません。この真理はお釈迦様が誕生される前から存在し、お釈迦様が亡くなられた後も存在し続けているものなんです。
この変わることの無いありのままの世界から私たちに向けてはたらいてくださるのが阿弥陀仏という仏様なのだと、親鸞聖人はお示しくださいました。
さらに親鸞聖人は御和讃のなかに
「久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏 五濁(ごじょく)の凡愚(ぼんぐ)をあはれみて
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)としめしてぞ 迦耶城(がやじょう)には応現する」
とお詠みになっています。親鸞聖人は永遠の仏様である阿弥陀仏が、私たちを救うためにお釈迦様となって私たちの世界に出てくださったのだと詠まれているのです。
阿弥陀仏の本当のお姿は変わることの無い永遠の真理そのものなので、私たちには見ることも出来ない仏様です。そのために様々なお姿をお取りになって私のためにはたらいていてくださいます。お釈迦様としてこの世に出てくださったお姿やお寺の本堂やお仏壇に安置されているお木像や名号のお掛け軸。これらはすべて私がわかるようにお姿をあらわしてくださった阿弥陀仏のお姿なんです。
様々なお姿をお取りになるとはいいますがその本質は決して変わることはありません。いつまでも変わらずに私を願い続け、私のためにはたらき続けていてくださるのが阿弥陀仏という変わることの無い仏様であったんです。
変わり続ける中に苦しんでいる私の姿をお見抜きになって、変わることの無い阿弥陀仏という仏様になって私のためにはたらき続けていて下さったんです。
変わるということは悪い事ばかりではなく状況が好転するかもしれないという希望もありますが、どうなるのかわからないという不安は付きまといます。だからこそ私を案じてくださる阿弥陀仏が共にこの命歩んでいてくださったんです。変わり続けるこの世界を変わることの無い阿弥陀仏とご一緒に一歩一歩、歩んでいくお念仏申す日暮を送らせていただきたいと思うことであります。
南無阿弥陀仏