法話集
読む法話「モノの見方、考え方」 (天草市 天草下組 西明寺 佐々木教将)
「「凡夫」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと…」
《現代語訳》
「「凡夫」 というのは、 わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、 まさに命が終ろうとするそのときまで、 止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもないと…。」
『一念多念文意』
ここ二、三年のコロナ禍で外出ができなくなりテレビを観ることが増えました。そんな中私が最近観ている番組で「ポツンと一軒家」があります。皆さんはご覧になられたことありますか?
この番組は、人里離れたところにポツンと建っている一軒家を探し、そこで暮らす人に取材をするバラエティです。私が最初この番組を観たときは、本当にこんな山奥に夫婦二人とか、一人で住まわれているのかと、その事ばかりに驚いていました。けれども回を重ねるうちに、住人の方のそこに住むようになった理由や生い立ち、または土地の魅力など、むしろそちらのほうに興味を惹かれることが多くなっていきました。また、この番組はときに私に新たな気づきを与えてくれることもあります。
この番組の中でとても私の印象に残っている回があります。あるご高齢の男性(以下、Aさん)のお話です。
Aさんは奥さんを先に亡くされています。しかし、一人で畑を作り、薪割りをし、食事を用意して楽しそうに暮らしていらっしゃいました。
取材の中でご自身の少年の頃の話をされたのですが、Aさんは毎日小学校へ行くのに、2kmの坂道を下り、その先にある昼でも暗い小高い丘の森を抜け、その下にまた3kmの上り下り坂を歩いて登校していたそうです。
そこを一人で通っている頃は、なんでこんな道を通って毎日登校しないといけないのかと嫌で嫌で仕方がなかったそうです。Aさんにとってこの長い通学路は自分への障(さわ)りだったのです。
しかしある日、Aさんの家の近所に女の子が引っ越して来たそうです。三歳下の子で翌日からその女の子とAさんは二人で手を繋いで通学するようになりました。それからというもの行きも帰りも二人一緒で、毎日が楽しく、今まで嫌だ嫌だと思っていた坂道も暗い森も微塵たりとも苦になりません。これが幸せなんだと当時のAさんは女の子と登校下校する度に思っていたそうです。私にもその気持ち分かります。私の青春を思い出しました。
そこで話は現在に戻るのですが、今から三年前にその女の子はお浄土に往生されたそうです。続けてAさんは、「それが私の妻です。共に苦労をしてその苦労が報われました。」とお話しされておりました。Aさんの後ろにあったお仏壇にはその女性の写真と阿弥陀さまがご安置されておりました。
この回を観て私は、青春を共に歩んだ奥様を亡くしたAさんにはとても言葉にならない悲しさ辛さがあるのだろうと思いましたが、それ以上にAさんにとって毎日嫌だ嫌だと思っていた道が奥様との出会いにより逆に幸せを感じる道になったことに共感させられるものがありました。
先程のAさんの話で、毎日嫌だ嫌だと通ってた道が、ある日からまだ着きたくない、帰りたくない道へと変わったとありましたが、私自身にも似た経験があったからです。私は高校に通っていた頃、自転車で毎日45分かけて登校していました。長い長い上り坂を一人ぼっちでハーハーと息を荒げて汗を流しながら自転車を漕いだものです。しかし学校で友達ができると、それまで辛かっただけの道も早く学校に着きたいと思うわくわくした道になっていました。一つのきっかけで私の中のモノの見方、考え方が変わったのです。裏を返せば、きっかけ次第でなんとでも思ってしまう我が身であります。
このような私の姿を凡夫といいます。
今回冒頭にいただいたお言葉は、浄土真宗を開かれました親鸞聖人が私に顕わしてくださったお言葉です。凡夫というのは阿弥陀さまがご覧になった私の姿であります。分かりやすくいうと、自己中心的なモノの見方、考え方しかできないこの私ということです。
そして、「南無阿弥陀仏」と私がお念仏を称えさせていただいているということは、もうすでに阿弥陀さまのおはたらきが私のもとに届いてくださっておるということも親鸞聖人はお示しくださっています。阿弥陀さまのおはたらきに私が照らされていたからこそ気づく私の凡夫という姿。そんな凡夫である私を見捨てず、放さずの阿弥陀さまと一緒に私は今、往生浄土への歩みをさせていただいております。
ふとしたことで「モノの見方、考え方」が変わってしまう、私の凡夫という姿をあらためて気づかせていただいたAさんの回は私にとって大切なご縁でありました。
コロナ感染拡大や戦争が勃発する緊迫した現状でありますが、一日一日を丁寧に過ごしたいものです。
称名
読む法話 「私を励まし育て続けるお念仏」 (上天草市 観乗寺 藤田慶英)
「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」
皆さんこんにちは。私は天草の藤田慶英と申します。私は5年前に大分の中津という所から天草の今のお寺にやってきました。いわゆる婿養子です。
私は元々歌を聴いたり歌ったりするのが好きなのですが、養子に来てからというもの、その歌の趣味がどんどん古くなっており、今では並木路子さんの「りんごの唄」まで聴くようになりました。そこで、最近気づいたのですが、昭和の歌謡曲や演歌というのは今どきの歌と違って親子の歌や夫婦の歌が多いんですね。そんな昭和の歌の中に私の様な婿養子の心に刺さる歌というのがあります。さだまさしさんてご存じですよね。この方の「秋桜(こすもす)」という歌が最近はすごく心に残るんです。特に二番の歌詞がとってもいいんです。
あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
とつぜん涙こぼし元気でと
何度も何度も繰り返す母
ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもでいさせてください
私はこの歌詞の中で何でお母さんが突然涙をこぼして「元気で」という言葉を残したのかとても気になりました。「夫婦仲良く幸せに暮らしなさいね」とか「お義父さんお義母さんを大事にしなさいね」とか色々あったはずじゃないかと思うんです。ところがこのお母さんは「元気で」という言葉を絞り出すのが精一杯だった。もちろん胸いっぱいだったということもあるでしょう。しかし、私はこういうことなんじゃないかなと推測するんです。
結婚というのは、通常幸せなことです。だから「おめでとう」と笑顔で見送ってあげたいのは山々なんです。ところが、母だけはわかっているんです。新たな家族とともに幸せに過ごせないわけではないのですが、故郷・親元を離れて見知らぬ土地に一人で行くということは思った以上にさみしいものです。どんなに周りによくしてもらっても何となく孤独感を感じるときもあるのです。母だけはそれがよくわかっている。そんな酸いも甘いも経験した母だからこそ「元気で」という言葉に様々な思いを込めて娘に伝えたのではないでしょうか。そして娘さんはこの言葉に何度も励まされ救われたことではないのかと。
阿弥陀という仏さまは、私たちが自ら煩悩を振り払うことのできない愚かな身の上であることを見通して、この者たちこそ救わなければならないと、お立ちあがりくださいました。そして、南無阿弥陀仏というお念仏に自らの果てしなく厳しい修行で積んだお徳をあらわし私たちに届いてくださっておるのであります。私たちはうれしいときも辛いときもこんな私たちのためにご苦労くださった阿弥陀さまのお心に励まされ、救われていくのであります。
本日はようこそのお参りでございました。
読む法話 「確かな大丈夫」 (熊本市 両嚴寺 郡浦智明)
「大丈夫」という言葉で、安心できる事もありますが、気休めにもならない事もあります。
私事ですが一昨年に、痔の手術で生涯初めての入院を経験しました。振り返ると、痛みに苦しむ私に「大丈夫ですか。」と声をかけ痛みの原因を診てくださり、手術、治療をし、「大丈夫ですよ。」と声をかけてくださった、担当医の先生に支えられた入院生活でした。痔という症状は昨日今日であらわれるわけではなく、結構な時間をかけてあらわれる症状だそうです。私の場合、その症状を、手術しなければいけないほど深刻になるまで長く放っておいたという事になります。病院にお世話になる数か月前には、すでに違和感があり自覚症状はありましたが、大ごとに思いたくない私は「大丈夫だろう。大丈夫なはずだ。」と、根拠のない思いで誤魔化しながら放っておいたのです。その結果、自分で抱えきれない痛みに苦しみ、病院へ駆け込む事になったのです。
担当医の先生と私の「大丈夫」はあきらかに違います。私は、痛みの患部を診察することも、その症状の詳細も知ることも出来ません。治癒のためにどうすればいいかも分かりません。それに対して、専門家である先生はその患部を診察し、どのような症状か詳細まで知ることができます。その上で、痛みをとるために、または症状を改善するために、どのようにすればいいかを見通し、治療する事ができます。結果的に私の「大丈夫」は不確かなもので気休めにもなりませんでしたが、先生の「大丈夫」は、どこか確かさがあり安心させる響きがありました。
親鸞聖人が仰ぎ讃えられた七高僧のお一人である道綽禅師は、『安楽集』という書物で仏法を聴くものの心得について述べられています。その中に「愈病の想をなせ。」というお言葉があります。この身の病を治癒していく最高の薬として、仏法をいただきなさい、という意味です。ここでの病とは、煩悩具足の凡夫(煩悩に振り回され、苦しみ続けていくしかないもの)といわれるすがたであり、私には知ることの出来ない、仏さまの眼差しによってあきらかになる私のすがたです。そのすがたを哀れ悲しみ「あなたを見捨てない。必ず救う。」と誓われ、誓いのままに「南無阿弥陀仏」となって私にはたらき、お救いくださる仏法を、親鸞聖人はあきらかにされ伝えてくださいました。
放っておいたら煩悩に振り回され、苦しみ続けていくしかない愚かで危うい私に、苦しみから離れる確かな道を示し、「大丈夫」とはたらいてくださる仏さまのおこころを聞かせていただくのがお聴聞です。煩悩具足の凡夫と知らされ、「あなたを見捨てない。必ず救う。」という確かな「大丈夫」に支えられ導かれていく大事な仏縁として、お念仏申させていただきたいものです。
新年のご挨拶 熊本教区教務所長・本願寺熊本別院輪番 宮川善裕
皆様のおかげで今年も無事新しい年を迎える事が出来ました。本年も多くのご縁をいただきその一つ一つの尊いご縁を大切に精進させていただきたいと存じます。皆様には熊本教区・熊本別院をいつも支えていただき深く感謝いたしております。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
熊本に於いては、平成28年4月に発生した国内最大規模の熊本地震から5年目を迎えていますが、その後は新型コロナウィルス感染症の発生により県内外を取り巻く環境に非常に深刻な影響を与えています。その中、令和2年7月豪雨が発生、球磨川の氾濫とともに人吉市を中心に甚大な被害が生じるなど、思いもよらぬ災害が多発し多くの命が失われるなど、自然の猛威に対する人間の無力さを思い知らされた事でもありました。また、コロナ禍にもより様々な社会問題が複雑化した現代社会では、いのちを軽視する事件が相次ぐなど、苦しみや悲しみに打ちひしがれそうな日々を過ごされる人が大勢おられます。今まさに何を指針としてどう行動すべきかが私たち一人一人に問われているように思います。
専如ご門主様は、新型コロナウィルス感染症の拡大によって、各寺院における法要・行事等を執行する事が難しい中、「仏教や浄土真宗のみ教えを伝えるお寺が人々の拠り所となるよう社会の中で出来る事を実践してまいりましょう」とご教示くださいました。また法統が継承された折の「ご消息」においては「現代の苦悩をともに背負い、御同朋の社会をめざし、みなで英知を結集して取り組んでいただきたい」とお示しいただいています。
現在、寺院を取り巻く状況は日増しに厳しくなり、様々な課題が生じていますが、お寺を中心に人と人とが寄り添い、心豊かに生きる事の出来る社会の実現を目指すためにも、私たちの生きる方向を見据え、新たな人と人との繋がりを築いていくための一歩をふみだしていただきたいと願うことであります。今後とも広く社会の生活感情をもって、周囲の人々へ働きかける念仏者として、実践運動推進のため、ご協力を賜りたくよろしくお願い申し上げます。
本年もめまぐるしい変化が予想されますが、その中で変わらぬみ仏のお法をともによろこばせていただきたいと思います。
読む法話 「待ってるからね」 (八代市 崇光寺 萼弘誓)
このご文は、親鸞聖人が関東から京都に帰られて往生されるまで、関東各地のご門弟に宛てられたお手紙(御消息)の中にあるお言葉です。現代語に訳しますと「わたしは今はもうすっかり年老いてしまい、きっとあなたより先に往生するでしょうから、浄土で必ずあなたをお待ちしております。」という内容のお言葉です。このお手紙を受け取られた方にとって、待っていて下さる方がいらっしゃるということが、その後の人生のとても大きな励みになられたことと思います。 昨年より続くコロナ禍の今、心の病をお持ちの方の数が以前に比べて大変多くなっているそうです。先日テレビの放送で、インタビューに答える女性の方がいらっしゃいました。その方は 30 代で、忙しく仕事をされていましたが、ある日突然身体の調子が悪くなり、眠れなくなり、病院に行きますと心の病気と診断されたそうです。すぐに職場に相談し長期休暇をもらい、治療に専念する 日々を過ごされました。現在はもうすっかり身体の調子も良くなり、仕事に復帰されていますが、 療養中、職場の同僚の方たちから「待ってるからね、ゆっくり治してね」と言われた言葉が大変嬉しかったと話されていました。「待ってるからね」の一言から少し前向きな気持ちになり、「私が帰る場所はここだー!」と調子が良くなるきっかけとなられたそうです。もし、同僚の方達から「待ってるからね」の言葉がなかったら、職場はただの「行き先」でしかなく、行くのがつらいままだったのかもしれません。待っていて下さる方がいらっしゃることで、職場が「帰れる場所」となり、ご自身にとっての励みになられたのでしょう。
私たちのこのいのちは、死んで終わりのいのちではなく、阿弥陀如来のお浄土に生まれていく「いのち」であるとお聞かせいただいています。今すでにお浄土に参られ、仏となられている先人の方々が待っていてくださっている世界がご用意されています。ただの「行き先」としてのお浄土ではなく、「帰れる場所」としてのお浄土。待っていて下さる世界を約束された人生は、それ以前の人生と全く別物になります。あとに残されるご門弟の方を想い、「必ず待っていますからね」と伝えてくださった親鸞聖人のお言葉は、現代に生きる私にとっても励みとなり、心強く響いて下さっています。
「お浄土で待ってるからね」きっとその言葉を受け取られた方のその後の人生は、悲しいだけでは終わらせない、寂しいだけでは終わらせない、阿弥陀さまのお慈悲の中に生き抜いていく人生が開かれていくことでしょう。
読む法話 「目印」 (八代市 大法寺 大松龍昭)
そう気づいたときに、まさに私たちの人生もその通りだろうと思いました。歳を重ねて いきますと、私たちは今の自分は己の努力と苦労によって築き上げてきたんだと思ってい るところがあると思います。それも嘘ではありません。しかし私たちは人生の局面局面で、 目印となる存在に幾度も出会い、それに導かれ導かれして今日の自分がある、それが事実 ではないでしょうか。その存在とは、もしかすると亡くなったあの方かもしれません。ま だ隣にいてくれているその方しれません。またそれは身内とは限りません。そしてそれは 1 人でもないはずです。その存在に気づくということは、私の命をより豊かなものに変えな していくことでしょう。
そしていま、私たちはお聴聞の現場にいるわけです。しかしそれもきっと私のしでかし た事ではなくて、何某かの目印や道標に導かれて、いまこのように仏縁に恵まれているの ではないでしょうか。ぜひ合わせてそのことも味わっておきたいと思うことであります。