法話集
読む法話「当たり前はこわい」 (熊本市 託麻組 眞法寺 眞壁法城)
突然ですが問題です。
「上の反対は下、右の反対は左ですが、当たり前の反対は何でしょうか?」
お分かりになりましたでしょうか。答えは「有り難う」です。
「有り難い」とは、「有ることが難しい」、つまり、「滅多にない」ことであるから「感謝する」という意味で使われるようになったことばであります。「滅多にない」の反対は、「いつものこと、当たり前」といえるので「当たり前」の反対は「有り難う」となるのですが、この「当たり前」ということば、ちょっとこわい一面をもっていると私は最近感じています。
実は私、3年ちょっと前に大腸がんの手術をしました。術後にリンパ節への転移が少し認められたので(ステージ3)、半年ほど点滴と薬による抗がん剤治療を行いまして、現在は約3か月に1回の検査を受けております。前回の検査は先月の5月でしたが、特に異常はありませんでした。
さてこの検査、結局年に4回受けることになるのですが、血液検査だけで終わるのは1回だけで、残りはCT検査、MRI検査、大腸検査を順番にやっていきます。その中でも大腸検査は、前日の食事制限に始まり、朝から検査、結果が出るのは夕方になることもあり、かなり時間のかかるものになります。術後数回目までの検査のときは、たとえ一日がかりの検査になったとしても最後の「異常なし」を聞いて一安心して家に帰れていたのですが、検査に慣れ、何度も「異常なし」を聞いているうちに、いつの頃からでしょうか、前日から準備して一日検査して、そしてその結果が「異常なし」だと、
「今回の検査は、1回くらい飛ばしてもよかったんじゃないかな~」
と、何だかとても時間を損したみたいな気持ちになってしまっている自分に気がつきました。
病気をしたとき、それまで「当たり前」だった健康が、実は大変有難いことだったと身をもって気づかされます。ですから、病気のとき、またその直後には、「異常なし」は「有難い」ことなのです。ところが病気から回復してしばらくたってしまうと、また健康が「当たり前」に戻ってしまい、その結果、「異常なし」も「当たり前」、そして出てきてしまうのは、「時間を損した」というような不平であり不満であります。
できるだけそう思わないように気をつけてはいるつもりですが、「当たり前」という感覚は、どうやら人から感謝の心を奪ってしまうようであります。
今日という一日を考えてみても同じです。「有り難き今日」と受け取るか、「当たり前の今日」と受け取るかで、同じ一日でもずいぶん違ってくることになります。前者の受け止めからは大切に過ごす一日が、後者の受け止めからはうっかりと過ごしてしまう一日が、ついつい目に浮かんできそうです。
ちなみに、私たちがお経をお勤めするときは原則としてお経本を用います。何回も読んでいるので経文は覚えているのですが、お経本を用いるのが作法となっています。「当たり前のお経」ではなく、「有り難いお経」であることを身体全体で再認識するために先人の方々が作法として残してくださっているのです。
読む法話「流れてもわが身に遺るお念仏」 (相良村 球磨組 聚教寺 恒松見照)
この言葉は、「令和2年7月豪雨災害」で被災されたご門徒さんが、災害から半年後にようやく新たにお仏壇をお迎えされた時に、つぶやかれた言葉です。
大切なものをなくしてしまったけれども、この身に付き遺ってくださっていた「お念仏」の心強さを当時を振り返りながら語って下さいました。
被災当時は勿論、片付けに必死だった半年間は心に余裕もない日々でしたが、新たにお仏壇を迎えられ、手を合わせお念仏することができてほんとうによかったと喜ばれつつ
「日頃より、何が起こるかわからない世の中だと言うことは、知っていましたが、実際、それを体験してみると、どうしてよいかわからなくなりますね」
「いつも仏さんは私と共にいて下さっているのでしょうが、まさかっと思うことが起こると、それをうち忘れてしまいますね〜」
とありのままのお気持ちもお話しくださいました。
親鸞聖人は『正信念仏偈』に源信僧都の言葉を引用され
「我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)
煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)
大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」
「我もまたかの摂取の中に在れども、煩悩の眼障えられて見たてまつらずといえども、大悲倦(ものう)きこと無く
して、常に我が身を照らしたもう」
とお示しくださっています。
親鸞聖人は「仏教徒」といえども仏さまを忘れてしまうことが、次から次に起こるこの世だからこそ、逆に常にわたくしを忘れずにいてくださる仏様の存在を「心強い」と喜ばれたのでありましょう。
もうすぐ災害から2年目を迎える今、仮設住宅へお見舞いに参りますと、お届けした支援物資を手にしながら多くの方が
「私たちの事を わすれんでいてくれて ありがとう」
「思ってくれて ありがとう」
と感謝の言葉を口にされます。
いつも、思いつづけ 支えつづけてくださる存在(仏様)が、如何に心強いものなのかを被災者の方々から再確認させられています。
読む法話「モノの見方、考え方」 (天草市 天草下組 西明寺 佐々木教将)
「「凡夫」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと…」
《現代語訳》
「「凡夫」 というのは、 わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、 まさに命が終ろうとするそのときまで、 止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもないと…。」
『一念多念文意』
ここ二、三年のコロナ禍で外出ができなくなりテレビを観ることが増えました。そんな中私が最近観ている番組で「ポツンと一軒家」があります。皆さんはご覧になられたことありますか?
この番組は、人里離れたところにポツンと建っている一軒家を探し、そこで暮らす人に取材をするバラエティです。私が最初この番組を観たときは、本当にこんな山奥に夫婦二人とか、一人で住まわれているのかと、その事ばかりに驚いていました。けれども回を重ねるうちに、住人の方のそこに住むようになった理由や生い立ち、または土地の魅力など、むしろそちらのほうに興味を惹かれることが多くなっていきました。また、この番組はときに私に新たな気づきを与えてくれることもあります。
この番組の中でとても私の印象に残っている回があります。あるご高齢の男性(以下、Aさん)のお話です。
Aさんは奥さんを先に亡くされています。しかし、一人で畑を作り、薪割りをし、食事を用意して楽しそうに暮らしていらっしゃいました。
取材の中でご自身の少年の頃の話をされたのですが、Aさんは毎日小学校へ行くのに、2kmの坂道を下り、その先にある昼でも暗い小高い丘の森を抜け、その下にまた3kmの上り下り坂を歩いて登校していたそうです。
そこを一人で通っている頃は、なんでこんな道を通って毎日登校しないといけないのかと嫌で嫌で仕方がなかったそうです。Aさんにとってこの長い通学路は自分への障(さわ)りだったのです。
しかしある日、Aさんの家の近所に女の子が引っ越して来たそうです。三歳下の子で翌日からその女の子とAさんは二人で手を繋いで通学するようになりました。それからというもの行きも帰りも二人一緒で、毎日が楽しく、今まで嫌だ嫌だと思っていた坂道も暗い森も微塵たりとも苦になりません。これが幸せなんだと当時のAさんは女の子と登校下校する度に思っていたそうです。私にもその気持ち分かります。私の青春を思い出しました。
そこで話は現在に戻るのですが、今から三年前にその女の子はお浄土に往生されたそうです。続けてAさんは、「それが私の妻です。共に苦労をしてその苦労が報われました。」とお話しされておりました。Aさんの後ろにあったお仏壇にはその女性の写真と阿弥陀さまがご安置されておりました。
この回を観て私は、青春を共に歩んだ奥様を亡くしたAさんにはとても言葉にならない悲しさ辛さがあるのだろうと思いましたが、それ以上にAさんにとって毎日嫌だ嫌だと思っていた道が奥様との出会いにより逆に幸せを感じる道になったことに共感させられるものがありました。
先程のAさんの話で、毎日嫌だ嫌だと通ってた道が、ある日からまだ着きたくない、帰りたくない道へと変わったとありましたが、私自身にも似た経験があったからです。私は高校に通っていた頃、自転車で毎日45分かけて登校していました。長い長い上り坂を一人ぼっちでハーハーと息を荒げて汗を流しながら自転車を漕いだものです。しかし学校で友達ができると、それまで辛かっただけの道も早く学校に着きたいと思うわくわくした道になっていました。一つのきっかけで私の中のモノの見方、考え方が変わったのです。裏を返せば、きっかけ次第でなんとでも思ってしまう我が身であります。
このような私の姿を凡夫といいます。
今回冒頭にいただいたお言葉は、浄土真宗を開かれました親鸞聖人が私に顕わしてくださったお言葉です。凡夫というのは阿弥陀さまがご覧になった私の姿であります。分かりやすくいうと、自己中心的なモノの見方、考え方しかできないこの私ということです。
そして、「南無阿弥陀仏」と私がお念仏を称えさせていただいているということは、もうすでに阿弥陀さまのおはたらきが私のもとに届いてくださっておるということも親鸞聖人はお示しくださっています。阿弥陀さまのおはたらきに私が照らされていたからこそ気づく私の凡夫という姿。そんな凡夫である私を見捨てず、放さずの阿弥陀さまと一緒に私は今、往生浄土への歩みをさせていただいております。
ふとしたことで「モノの見方、考え方」が変わってしまう、私の凡夫という姿をあらためて気づかせていただいたAさんの回は私にとって大切なご縁でありました。
コロナ感染拡大や戦争が勃発する緊迫した現状でありますが、一日一日を丁寧に過ごしたいものです。
称名
読む法話 「私を励まし育て続けるお念仏」 (上天草市 観乗寺 藤田慶英)
「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」
皆さんこんにちは。私は天草の藤田慶英と申します。私は5年前に大分の中津という所から天草の今のお寺にやってきました。いわゆる婿養子です。
私は元々歌を聴いたり歌ったりするのが好きなのですが、養子に来てからというもの、その歌の趣味がどんどん古くなっており、今では並木路子さんの「りんごの唄」まで聴くようになりました。そこで、最近気づいたのですが、昭和の歌謡曲や演歌というのは今どきの歌と違って親子の歌や夫婦の歌が多いんですね。そんな昭和の歌の中に私の様な婿養子の心に刺さる歌というのがあります。さだまさしさんてご存じですよね。この方の「秋桜(こすもす)」という歌が最近はすごく心に残るんです。特に二番の歌詞がとってもいいんです。
あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今さらながらわがままな私に
くちびるかんでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
とつぜん涙こぼし元気でと
何度も何度も繰り返す母
ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子どもでいさせてください
私はこの歌詞の中で何でお母さんが突然涙をこぼして「元気で」という言葉を残したのかとても気になりました。「夫婦仲良く幸せに暮らしなさいね」とか「お義父さんお義母さんを大事にしなさいね」とか色々あったはずじゃないかと思うんです。ところがこのお母さんは「元気で」という言葉を絞り出すのが精一杯だった。もちろん胸いっぱいだったということもあるでしょう。しかし、私はこういうことなんじゃないかなと推測するんです。
結婚というのは、通常幸せなことです。だから「おめでとう」と笑顔で見送ってあげたいのは山々なんです。ところが、母だけはわかっているんです。新たな家族とともに幸せに過ごせないわけではないのですが、故郷・親元を離れて見知らぬ土地に一人で行くということは思った以上にさみしいものです。どんなに周りによくしてもらっても何となく孤独感を感じるときもあるのです。母だけはそれがよくわかっている。そんな酸いも甘いも経験した母だからこそ「元気で」という言葉に様々な思いを込めて娘に伝えたのではないでしょうか。そして娘さんはこの言葉に何度も励まされ救われたことではないのかと。
阿弥陀という仏さまは、私たちが自ら煩悩を振り払うことのできない愚かな身の上であることを見通して、この者たちこそ救わなければならないと、お立ちあがりくださいました。そして、南無阿弥陀仏というお念仏に自らの果てしなく厳しい修行で積んだお徳をあらわし私たちに届いてくださっておるのであります。私たちはうれしいときも辛いときもこんな私たちのためにご苦労くださった阿弥陀さまのお心に励まされ、救われていくのであります。
本日はようこそのお参りでございました。
読む法話 「確かな大丈夫」 (熊本市 両嚴寺 郡浦智明)
「大丈夫」という言葉で、安心できる事もありますが、気休めにもならない事もあります。
私事ですが一昨年に、痔の手術で生涯初めての入院を経験しました。振り返ると、痛みに苦しむ私に「大丈夫ですか。」と声をかけ痛みの原因を診てくださり、手術、治療をし、「大丈夫ですよ。」と声をかけてくださった、担当医の先生に支えられた入院生活でした。痔という症状は昨日今日であらわれるわけではなく、結構な時間をかけてあらわれる症状だそうです。私の場合、その症状を、手術しなければいけないほど深刻になるまで長く放っておいたという事になります。病院にお世話になる数か月前には、すでに違和感があり自覚症状はありましたが、大ごとに思いたくない私は「大丈夫だろう。大丈夫なはずだ。」と、根拠のない思いで誤魔化しながら放っておいたのです。その結果、自分で抱えきれない痛みに苦しみ、病院へ駆け込む事になったのです。
担当医の先生と私の「大丈夫」はあきらかに違います。私は、痛みの患部を診察することも、その症状の詳細も知ることも出来ません。治癒のためにどうすればいいかも分かりません。それに対して、専門家である先生はその患部を診察し、どのような症状か詳細まで知ることができます。その上で、痛みをとるために、または症状を改善するために、どのようにすればいいかを見通し、治療する事ができます。結果的に私の「大丈夫」は不確かなもので気休めにもなりませんでしたが、先生の「大丈夫」は、どこか確かさがあり安心させる響きがありました。
親鸞聖人が仰ぎ讃えられた七高僧のお一人である道綽禅師は、『安楽集』という書物で仏法を聴くものの心得について述べられています。その中に「愈病の想をなせ。」というお言葉があります。この身の病を治癒していく最高の薬として、仏法をいただきなさい、という意味です。ここでの病とは、煩悩具足の凡夫(煩悩に振り回され、苦しみ続けていくしかないもの)といわれるすがたであり、私には知ることの出来ない、仏さまの眼差しによってあきらかになる私のすがたです。そのすがたを哀れ悲しみ「あなたを見捨てない。必ず救う。」と誓われ、誓いのままに「南無阿弥陀仏」となって私にはたらき、お救いくださる仏法を、親鸞聖人はあきらかにされ伝えてくださいました。
放っておいたら煩悩に振り回され、苦しみ続けていくしかない愚かで危うい私に、苦しみから離れる確かな道を示し、「大丈夫」とはたらいてくださる仏さまのおこころを聞かせていただくのがお聴聞です。煩悩具足の凡夫と知らされ、「あなたを見捨てない。必ず救う。」という確かな「大丈夫」に支えられ導かれていく大事な仏縁として、お念仏申させていただきたいものです。
新年のご挨拶 熊本教区教務所長・本願寺熊本別院輪番 宮川善裕
皆様のおかげで今年も無事新しい年を迎える事が出来ました。本年も多くのご縁をいただきその一つ一つの尊いご縁を大切に精進させていただきたいと存じます。皆様には熊本教区・熊本別院をいつも支えていただき深く感謝いたしております。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
熊本に於いては、平成28年4月に発生した国内最大規模の熊本地震から5年目を迎えていますが、その後は新型コロナウィルス感染症の発生により県内外を取り巻く環境に非常に深刻な影響を与えています。その中、令和2年7月豪雨が発生、球磨川の氾濫とともに人吉市を中心に甚大な被害が生じるなど、思いもよらぬ災害が多発し多くの命が失われるなど、自然の猛威に対する人間の無力さを思い知らされた事でもありました。また、コロナ禍にもより様々な社会問題が複雑化した現代社会では、いのちを軽視する事件が相次ぐなど、苦しみや悲しみに打ちひしがれそうな日々を過ごされる人が大勢おられます。今まさに何を指針としてどう行動すべきかが私たち一人一人に問われているように思います。
専如ご門主様は、新型コロナウィルス感染症の拡大によって、各寺院における法要・行事等を執行する事が難しい中、「仏教や浄土真宗のみ教えを伝えるお寺が人々の拠り所となるよう社会の中で出来る事を実践してまいりましょう」とご教示くださいました。また法統が継承された折の「ご消息」においては「現代の苦悩をともに背負い、御同朋の社会をめざし、みなで英知を結集して取り組んでいただきたい」とお示しいただいています。
現在、寺院を取り巻く状況は日増しに厳しくなり、様々な課題が生じていますが、お寺を中心に人と人とが寄り添い、心豊かに生きる事の出来る社会の実現を目指すためにも、私たちの生きる方向を見据え、新たな人と人との繋がりを築いていくための一歩をふみだしていただきたいと願うことであります。今後とも広く社会の生活感情をもって、周囲の人々へ働きかける念仏者として、実践運動推進のため、ご協力を賜りたくよろしくお願い申し上げます。
本年もめまぐるしい変化が予想されますが、その中で変わらぬみ仏のお法をともによろこばせていただきたいと思います。