新着情報

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本派社推協熊本教区支部ボランティア登録者の皆様・活動希望の皆様のページを更新しました。

2023年7月14日

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【重要】2023(令和5)年7月3日(月) 大雨による教区行事中止について

2023年7月3日

大雨の影響により、7月3日(月)に予定されていた教区行事をすべて中止させていただくことになりました。 当日のお知らせとなってしまい大変申し訳ありません。 尚、今後も大雨が続くことが予想されます。大雨情報を確認し、命を守る行動を心がけてください。 また、御寺院やご門徒さまに被害が発生した場合、熊本教区教務所までご連絡していただきますようお願い申しあげます。 【7/3 (月) 中止行事】  ▪ 勤式練習所声明講習会  ▪ 新任保育者研修委員会   【Zoom限定にて開催】  ▪ 保育連盟青年部会    ※Zoom情報につきましては、既送信メールをご確認ください。
災害に関するページを開設しました。

2023年7月3日

災害に関するページを開設しました。 災害関連のページ https://hongwanji-kumamoto.gich.net/?p=10576 災害に関するページのリンク集 https://hongwanji-kumamoto.gich.net/?p=10578
読む法話「心のお弁当」 (嘉島町 緑陽組 法源寺 松本浩信)

2023年7月1日 ブログ

 近所の小学校で、先日、運動会がありました。コロナ禍の影響が残る中、半日のプログラムとなりお弁当の時間もありません。  運動会や遠足等の学校行事で、楽しみだったのがお弁当でした。冷めたご飯とおかずなのに、友達と一緒に楽しく食べた思い出が残っているのは、皆さまも同じかと思います。  そしてもう一つ、お弁当には、子どもたちへの思いや願いが込められているのではないでしょうか。  東井義雄(とういよしお:兵庫県出身の浄土真宗の僧侶であり、教育者。1912~1991)さんは、校長在任中のある年、春の遠足の時引率した五年生が、買ってきたお弁当を持ってきていたことを悲しく思い、六年生の修学旅行を前に保護者会を開き、 「忙しいのは、存じております。しかし、子どもたちには大切な修学旅行なのです。いつもより早く起きて、性根を入れてギュッと握ったおにぎりのお弁当を持たせてやってくださいね。」 「そのとき、どんな願いを込めたかを、走り書きでも良いですから、手紙に書いてお弁当に入れてくださいね。」 と、二つのお願いをされました。  修学旅行の昼食の時、お弁当の包みを開けて手紙を見つけ、嬉しくて踊り回っていた子や、涙ぐみながら何度も読み返していた子も居たそうです。  私たちも、阿弥陀さまから「お弁当」をいただいています。それは、お腹がいっぱいになるお弁当ではありません。心がいっぱいになる「心のお弁当」です。そのお弁当にも「南無阿弥陀仏」と、短い手紙が添えられています。  阿弥陀さまは、悩み苦しみを抱えて生きていかなければならない私たちを、何ごとにも惑わされない、大きな安らぎへと至らしめたいと願われました。その願いを心にとどめて忘れることなく、「南無阿弥陀仏」の手紙を何度も読み返していくのです。
読む法話「心の使い方」 (山都町 益東組 教尊寺 大道修)

2023年6月1日 ブログ

 ソーシャルネットワークで出会った方が自身のページに書かれていたことです。  『会社での雑談での事・・。昔の男の子は皆、自分のナイフを持っていたな~って話になりました。ナイフで使って竹トンボや水鉄砲を作ったり、鉛筆を削ったり、悪戯する道具を作ったり…。  たまには失敗して手を切る事もありますがそうやって遊びながら、道具の使い方を覚えていった様に思います。しかし、今は子供にナイフを持たす人は減りましたね。ナイフは武器と言うイメージが強いです。  武器は人を傷つけます。危険な物は極力持たせたくないと言う親心もあるのでしょうね。ナイフは刃物です。刃物の本質は切る事です。料理で使う包丁も、人をあやめる刀も、手術で使うメスも刃物であり、何かを切るという本質は変わりません。切る対象が変わるだけです。何を切るか?は当人次第ですが、本当はソレを判断できる心を教えてあげる事が、大切な事の様な気がします。人の持つ凶器とは悪意に他なりません。  刃物が人を救う事もあれば、言葉で人を殺す事も出来る。全ての道具は使い方次第です。そして、何より知らなければならないのは、他ならない自分の「心の使い方」かも知れませんね。』(イドの日記より)  私たちの日常生活は常に自分の視座から世界を見る事に終始しています。一人ひとりが自分の思いや考え方にしがみつき、それを相手に押し付けようとします。この「自己主張」がエスカレートすると、言葉や暴力、時にはモノで相手を傷付けます。  仏教では「自己主張」即ち我執に囚われた人間の姿を「凡夫」といいます。  お念仏と出遇い人間の心の在りようや我欲の根深さを見抜かれた親鸞聖人は、「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと…」と『一念多念文意』に示されました。欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、まさに命が終ろうとするそのときまで、止まることもなく、消えることもない私たちを、その苦しみから救い取りたいと願われた仏さまが阿弥陀仏です。  阿弥陀仏の願いを聞かせ頂く中に自身の姿に気付かされる人生が開かれます。「心の使い方」を知ることは「心の在りよう」と向き合うということです。阿弥陀仏の願いの中に自分と向き合いながら生きる人生は、我執、我欲の虚しいだけの人生ではないのです。
第3支部布教大会のお知らせ

2023年5月29日

第69回 布教大会 初日 2023(令和5)年6月22日(木) 慶専寺(きょうせんじ) 下益城郡美里町津留1127 電話0964-46-2792   二日日 2023(令和5)年6月23日(金) 浄敬寺(じょうきょうじ) 宇城市豊野町下郷55 電話0964-45-3114 両日とも午後1時から午後4時まで ※お参りの際はマスク着用にご協力ください。