新着情報

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第45回『千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要』(2025/9/18-19) 熊本教区団体参拝旅行募集のご案内

2025年7月17日

 今般、標記追悼法要開催にあたり、教区団体参拝旅行を別紙要項の通り企画いたしました。  また、戦後80年の記念事業として、悲惨な戦争を再び繰り返してはならないという平和への決意を確認し、いのちの尊さ、非戦・平和の大切さを次世代に語り伝えてゆくためにも、皆様お誘い合わせのうえ、是非ご参拝ください。  ※添付ファイルの教区チラシ下部より、お申込みください。
第1回 次世代育成にかかる研修会(2025/8/8) 開催について(ご案内)

2025年7月17日

 今般、標記研修会を仏教婦人の育成を目的として標記の集いを開催いたします。  また、本研修会は、以前ご案内しておりました「仏教若婦人の集い」の名称を変更したものになります。昨今の社会情勢の中でも、年齢問わず新しく仏教を学ぶご縁の場をひろげるため、本研修会を開催いたします。  つきましては、ご多用の折とは存じますが、当連盟の趣旨をお汲み取りいただき、門信徒若婦人の皆様に参加方ご勧励くださいますよう、要項の通りご案内申し上げます。 ※追記  参加者される皆様へ  よろしければ、参加される場合はセロハンテープとのりをご持参ください。  何卒、ご査収の程、よろしくお願いいたします。
【寺婦連盟】第1回若婦人研修会開催について【9月2日(火)】

2025年7月8日

7/4全寺院向けご案内

2025年7月4日 ブログ

下記の通りメール配信をいたしましたので、ご確認ください。 なお、次回の全寺院発送までは配信テストとして、メール配信とは別に郵送にて書類をお届けいたします。 書類一式のダウンロードはこちらから ・『第16回熊本教区少年連盟夏のつどい』開催について(ご案内)
【少年連盟】第16回夏のつどい開催について

2025年7月4日 寺院向け案内  

少年連盟「第16回 夏のつどい」開催について 日   時  :2025(令和7)年8月5日(火)~8月6日(水)※1泊2日 会   場  :合志組浄専寺 対   象  :寺族・門信徒の小学生 参 加 費  :ひとり3,000円 申込締切:7月28日(月) 詳細につきましては、要項およびチラシをご参照ください  
読む法話「今日とも知らず明日とも知らず」   (氷川町 種山組 光澤寺 源明龍)

2025年7月1日 ブログ

 つい先日門徒さんの月命日でのことでした。  お勤め後のお茶を頂いて、くつろいでおりますと当然ご主人から声がかかりました。 「前住さん、アナタ(貴方)は、新聞ば読む時はどっかる(何処から)先ィ読みなはりますか?」 と。 「そりゃァ、まァ、えェと…、何処から読むと決めておるわけじゃありまっせんが。前日に、我が国も含めて世界で大きな事件や事故が起きましたら、一面から、次に相撲の興行中はスポーツ面、最後に社会面と番組欄でしょうかネ。」 と答えると、 「へェー、そりゃ若っか証拠ですバイ。」 「私どみャ、この歳(82歳)になっと、もう先の見えとりますけん、一面の次にゃ、『お悔やみ』欄ですバイ。のさった(あたえられた)命ば精一杯生きらした100歳を超えた人やそれに近い人、反対に未だ未だ今かると言う時にはってかした(亡くなられた)20代・30代の人、病気だったつだろうが、事故だったつだろうか、それとも自死だったろか、さぞかし縁者は愁嘆の坩堝(るつぼ)だったろうバイ、特に同年代の人の時には、胸を突かるるごたる思いがします。ほんに、人ごつじゃありまっせんなァ…。」  西行法師にこんな逸話があります。西行さんは、1118年京都に生まれ、1190年現在の大阪府南東部で亡くなられました。ここで少し、西行さんについてお話してみたいと思います。  西行さんは『新古今和歌集』等にも沢山の和歌が収録されています。23歳で出家され、僧侶になられる前は佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽上皇にも仕えた武術にも優れた北面(ほくめん)の武士であったといわれています。北面の武士とは、院御所(上皇が住む場所)の北側を警護する武士のグループのことです。文武にも長じていた彼が、若くして出家した理由には諸説有りますが、中でも刎頸(ふんけい)の友の死に無常の現実を痛感して、というのが有力のようですが、他に、こんな逸話も残されています。  未だ武士であった頃、私宅から院御所まで乗馬で伺候(しこう)途中、鳥辺山(とりべやま)という当時の火葬場の側を通る。毎日眺めて通っていたので火葬場の風景としては当たり前で、延々と立ちのぼる煙にも、特別、感傷的な気持ちは無かった。が、友を亡くしてからというもの、その煙が気にかかり出した。ある日、馬に揺られながらその煙が鼻に突いた時、ふっと上の句が口に出た。 「鳥辺山 昨日も煙 今日もまた・・・」 しかし、和歌には天賦の才有りと言われた西行さんも「下の句」が中々浮かばない。上の句を詠んだ数日後、御所へ伺候途中でのこと、今朝は風もなく幾本もの煙が、天に吸い込まれるように上がっていた。それを馬上から眺めて居た西行さん、突然馬が何に驚いたか、急にいなないた。その瞬間、夢から冷めたような西行さん、下の句が口を突いて出た。 「眺めて通る人はいつまで」。 即ち 「鳥辺山 昨日も煙 今日もたつ 眺めて通る 人はいつまで…。」 傍観している他人の死、しかし、次は私が他人から眺められていくのです。  蓮如上人(1415〜1499、本願寺八代目宗主)の御文章(お手紙)の中に 「われや先、人や先、きょうともしらずあすともしらず、朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり云々」 とご教化のように、明朝も今朝と代わらぬ陽が上ると私達は高を括っておりますが、如何なものでしょうか?  去る1月28日、埼玉県八潮市で起きた道路の陥没事故のことですが、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。直進して来たトラックが、頑丈なはずのアスファルトの地面に突然大きな穴が空き、そこに運転手と車体ごと落下するという予想だにしない事故のことです。運転しておられたのは74歳の方で、懸命の捜索にも関わらず遺体はそれから4ヵ月後、下水道管から見つかった、という事故のことです。報道に拠りますと、この運転手さんは孫家族と一緒に生活する、寡黙な仕事人間で、暇を見つけては2人のひ孫の手を引いて散歩して居られたとのこと。  この人が朝仕事に出掛けられる時、孫やひ孫さん達から、 「おじいちゃん、今交通事故がとっても多いから気をつけてね。帰りはいつもの時間?じゃァ行ってらっしゃい」 と見送られ、 「行って来ます」 とアクセルを踏んだとき、果たして 「今日が私の命日になる」 など、思われたでしょうか…。   『無量寿経』に釈尊は 「世人薄俗にして、共に不急の事を諍う(世の中の人々は、まことに浅はかなもので、急がなくて良いことを互いに争いあう)」 と仰せられるように、無常迅速の世に生きて居りながら、私の”いのち”の行くへに関しては関心は無いのか。全てのものは破壊されていく有限の命を生きながら、真実不動の道を求めていないのだろうか。絶対安住の浄土往生を願わないのであろうか。もしそうすれば、永遠不滅、悲・苦・悩・愁を超えた“いのち”が得られるであろうに。人は一体何をこの世に期待し、どういう楽しみを求めているのか。まことに悲しいことであると。  蓮如上人も、 「明日さへ分からぬ、どころか、一歩踏み出した足元さえ分からぬ、無明の人生。物事が、他との関係や比較の上に成り立つ娑婆、 『人間のはかなきことは、老少不定。はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏の願いを聞いてくれ』」 と、叫んでおられます。朝に、通りに掲げられた黒枠の死亡広告を眺めて通った私が、夕べには他人様から眺められて行くこの身であります。  どうぞお急ぎ下さい。お急ぎ下さいませ。