新着情報一覧のページです。
- 本願寺熊本別院「8月定例法座」開催中止について
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2026年7月30日
毎月6日に開催しております標記法座について、「令和8年熊本地震」の影響を鑑み、開催中止になりましたことお知らせいたします。 何卒、ご理解の程、よろしくお願いいたします。
- 2026(令和8)年度 「熊本教区教学研修 夏安居」開催案内について
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2026年7月16日 寺院向け案内
〇2026(令和8)年度 「熊本教区教学研修 夏安居」開催案内について 1.期 日 2026(令和8)年8月28日(金)13:00~16:50 2.会 場 ①熊本教区会館2階大広間(熊本市中央区坪井2-3-32) ℡096-343-8283 ②各所オンライン(会議アプリ『ZOOM』を使用) 3.テーマ 「浄土真宗の近現代史-戦争と平和を巡って-」 4.講 師 近藤 俊太郎 師(本願寺史料研究所研究員/龍谷大学非常勤講師) ※著書:『親鸞とマルクス主義―闘争・イデオロギー・普遍性』等 5.参加対象 教区内僧侶(布袍・輪袈裟)・寺族(式章)、どなたでも参加可能 6.参加費 一人2,000円 ※参加については、下記の要項に記載のQRコード及び申込用紙からご参加ください。 ☟こちらのQRコードからもお申込みできます。
- 7/13 全寺院向けご案内
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2026年7月13日 ブログ
下記の通りメール配信をいたしましたので、ご確認ください。 書類一式のダウンロードはこちらから ・【教区】夏安居案内・要項2026 ・【教区】同朋サロン 案内2026.7.30≪再案内≫ ・【仏婦】次世代育成研修会 全ヶ寺案内・要項 ・【仏婦】夏の一日研修会 全ヶ寺案内・要項 ・【少年】2026.8.5-6 第17回少年連盟夏のつどい ・【ビハーラ熊本】チャリティーサマーコンサート案内 ・【ビハーラ熊本】公開講座2026.7.23≪再案内≫ ・【社推協】公開講座2026.7.17開催≪再案内≫ ・【県仏】熊本県仏教会 総会研修会 開催のご案内
- 2026年度 熊本教区布教団総会資料について
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2026年7月8日
- 令和8年度 帰敬式実施について
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2026年7月7日
このたび当別院「報恩講法要」修行にあたり、報恩講法要初日に帰敬式を実施いたします。 つきましては、「帰敬式について」および「帰敬式チラシ」をご清覧のうえ、所属する門信徒および僧籍を有しない寺族の皆さまに帰敬式の意義をお伝えいただき、未受式の方には受式をご奨励くださいますよう、下記の通りご案内申しあげます。 なお、各寺院の門徒組会議員につきましては必ず受式するようお取り計らいください。 1.日 時 2026(令和8)年11月26日(木) 午後4時より 【受付】午後1時~午後1時30分 ※当日は逮夜法要(午後1時30分より)にご参拝ください。 2.場 所 本願寺熊本別院「本堂」 3.対象者 門信徒および僧籍を有しない寺族 100名を予定 4.チラシ こちらからダウンロードできます 4.申 込 帰敬式受式願にて11月6日(金)までにお申し込みください ※内願法名を申請する場合は、帰敬式受式願(内願用)にて9月16日(水)までにお申し込みください。 ☆帰敬式受式願(こちらからダウンロードできます) ☆帰敬式受式願(内願用)(こちらからダウンロードできます) 5.受式冥加 成 人 17,000円(帰敬式冥加 12,000円・事務費5,000円) 未成人 11,000円(帰敬式冥加 6,000円・事務費5,000円) ※内願法名を申請の方は、内願懇志として10,000円以上を別途進納いただきます。 ※本山帰敬式の冥加金改訂に基づき、本年度より受式冥加が変更となっております。 ー帰敬式についてー [浄土真宗本願寺派宗法]-抜粋- 第27条 門徒とは、僧侶及び寺族以外の者で、第二条の目的を遵奉し、本山に帰向し、 第十六条に規定する寺院又は第十九条に規定する開教区寺院に帰属し、当該寺院備付の 門徒名簿に登録された者をいう。 2 門徒は、この宗門及び本山並びに所属する寺院の護持発展に努めなければならない。 3 門徒は、帰敬式を受けるものとする。 上記のように、浄土真宗本願寺派では門徒は帰敬式を受式するものと規定されています。 本来ならば、帰敬式は特別な法要等を除いて、本山(西本願寺)で受式することを例としますが、現在では、本山を離れた場所(地方)でも、本山より出向する形で帰敬式の実施がなされるようになっています。 当別院(教区)では、平成18年度より、報恩講法要に併せて一人でも多くの方々に帰敬式を受式していただく目的で、毎年実施しています。また、現法規では、門徒において、寺院役職・組役職・教区役職等就任する場合、帰敬式を受式していることが前提であると定められているものがあります。 つきまして、各寺院におかれましては、寺院運営上、不合理が今後生じないように、重々ご理解くださいまして、計画的に、本山までお参りできない方を中心に、当別院での帰敬式の受式をご奨励くださいますようお願いいたします。 以 上
- 読む法話 「じゃない方のいのちだった私」(嘉島町 緑陽組 光勝寺 谷本健人)
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2026年7月1日 ブログ
「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ) 在世自在王仏所(ざいせじざいおうぶっしょ) 覩見諸仏浄土因(とけんしょぶつじょうどいん) 国土人天之善悪(こくどにんでんしぜんまく) 建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅしょうがん) 超発稀有大弘誓(ちょうほつけうだいぐぜい)」 『正信偈(しょうしんげ)』より (現代語訳) 「法蔵菩薩の因位のときに、 世自在王仏のみもとで、仏がたの浄土の成り立ちや、 その国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって、この上なくすぐれた願をおたてになり、 世にもまれな大いなる誓いをおこされた。」 このご法話を書かせていただいている今現在、2026北中米ワールドカップの真只中であります。我々のサムライブルーもF組2位でグループリーグの突破を決めたところです。かく言う私も高校1年生までは、サッカーに打ち込み未来のサムライブルーを目指していました。そのせいか、こと日本のサッカーの発展に並々ならぬ思い入れがあり、連日食い入るように試合を観戦しております。 私は愛知県や名古屋市の選抜に入る程にサッカーに打ち込んでいたのですが、中学や高校に上がるころには挫折をし、競技者としての未来に絶望を感じ始めていました。その頃に出会ったのがバンド活動。いわゆる音楽の世界でした。勝ち負けの論理ではない音楽の世界は、それまで受験やサッカーという勝ち負けの論理しか知らなかった私にとって、とても居心地が良いものでした。そのバンド活動を原点とし、表現というものに興味を持ち始め、私は芸術大学に進みました。芸術大学にもフットサルサークルがあり、私も顔を出すようになりました。周りの人はサッカーは好きだけど、決して上手という訳ではありませんでしたが、久しぶりにボールに触れてみると、上手い下手に関わらず、皆で一つのボールを追いかけあう面白さや、サッカーを始めたころの感覚を思い出しました。サッカーをやめてボールにすら触りたくないと思っていた私ですが、一度勝ち負けの論理を離れ、芸術という価値観から改めてサッカーに触れてみて、私は再びサッカーというものと出会いなおした感じがしました。 オリンピックやワールドカップなど、競技としてのスポーツは、誰が一番かを決めることに大きな価値を見出します。現に、メダルを取った人や、優勝をした人しか中々記憶には残っていないのではないでしょうか。しかしそこに至るには、無数の敗者というものが存在するのです。優勝する人がスポットライトを浴びる中、その影にはスポットライトの当たらない敗者がいるのです。 さてここからは本日最初に上げさせていただきました、お正信偈というお経さまのお言葉のことをお話しさせて頂きたいと思います。 数多いらっしゃる仏様の世界でも、これまでスポットライトが当たらなかった者にこそスポットライトを当てようとお思いになられた方がいらっしゃいました。それが阿弥陀如来という仏様でした。阿弥陀如来という仏様は元々法蔵菩薩というお名前で、お師匠様の世自在王仏のみもとで修行をされておりました。その時法蔵菩薩は世自在王仏に「私がさとりを開き自らの国を創るときの参考にしたいと思いますから、世自在王仏様の神通力によってこの世界のありとあらゆる全てのこと、またこれまでにお出ましになられた様々な仏様が、それぞれお創りになった世界の様相を見せて頂けませんか」とお願いをされるのです。すると世自在王仏も法蔵菩薩の熱意に負けて、ありとあらゆる世界と、これまでにお出ましになられた様々な仏様がお創りになられた世界のことを見せてくださいました。その時に、煩悩という自己中心的な考えしか出来ず、迷いの世界から抜け出すことが出来ない、自らではさとりを開く素質もないような私の姿を見つけて下さいました。そして法蔵菩薩は世自在王仏にむかって「私は、煩悩を断ち切ることが出来ず、自らでさとりを開く素質のない者を必ず救うことが出来る仏に成りたいと思います。そして必ずその者を救うための修行を成し遂げ、仏と成ってみせます」と誓いを立てられるのです。そしてそこから途轍もない程長い時間、苦しい修行を成し遂げられ阿弥陀如来という仏様になって下さいました。 「修行に耐えうる忍耐力をもっているなら救ってやろう」とか「あなたがもし清らかな心を身につけたのであれば救ってやろう」とか、これまでにお出ましになられた仏様も様々な救いの手立てを拵(こしら)えて下さいましたが、私を無条件で救うというような、言わば絶対にスポットライトの当たるはずのなかった者にこそスポットライトを当て、救いの目当てとして下さる仏様はいらっしゃいませんでした。 そしてこの阿弥陀如来という仏様は私がどのような生き方をしていようとも、私に「南無阿弥陀仏」のお念仏となって届き、「あなたを必ず救う仏がここに来ているぞ。何も心配することはないぞ」といつも私にご一緒して下さっているのです。 この娑婆という世界を生きていると、私たちは優れたものや人にこそ価値があると思い込んでしまいますが、阿弥陀様のお話を聞かせて頂くと、優れたものだけに意味や価値があるのではなく、元々それぞれがそのままで尊く、価値のある存在だということに気付かせて頂けるような気がします。 そのような事を感じさせて頂いたワールドカップのご縁でした。
